イタリア編 〜


1997年 2月6日(木) ヴェネツィア:快晴

耳栓をするのを忘れたが、それでもよく眠れた。
昨日目が覚めたのは暑さのせいもある。石造りで熱が逃げないところに持ってきて、
オイルヒーターががんがんに効いていて緩め方が分からなかったのだ。
今日はTシャツとパンツだけで寝た。

例によって質素な朝食をとって表に出ると、昨日までの凍てつく寒さが嘘のような快晴だった。
明るい上に暖かい。
人々はにこやかで、運河沿いのカフェでは外のテーブルでお茶を楽しむ人々もいる。
まるで一足早く春がやってきたような陽気。

僕はマフラーや手袋を鞄から出さず、ダウンジャケットのジッパーを開けて歩いた。
狭い路地にも、南東から強い日が差し込んでくる。
河面は光り輝いて、昨日まではやる気無さげに客引きをしていたゴンドラ乗りも、今日は客の方から寄ってくるらしくご機嫌でオールを漕いでいる。

旅行者はもちろん、地元の人々もこの素晴らしい天気にホッとしている。

いくらカルネヴァーレと言っても、昨日まではいささか寒すぎた。
仮装の人々が増えている。

朝食の席ではアメリカ人夫婦に連れられた16、7歳の女の子が「不思議の国のアリス」のような格好でコーヒーを飲んでいた。

祝福されたような一日。
僕はいい気分でタンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会まで歩く。
本当に気持ちいい。昼寝なんてしている場合じゃない。

教会に入ってまず目についたのが、ガイドブックでも見慣れたティツィアーノ「聖母被昇天」だ。
主祭壇に絵画だけが描かれているなんて、本当にすごい事だと思う
(十字架のキリストは一枚の板に描かれた絵で、祭壇の右端にある)。

バックの控えめな色のステンドクラスからは、もうすぐ昼になろうとしている日差しが
差し込んでいる。
動きのある美しい絵だ。

ちょうど僕が席に腰掛けた頃、パイプオルガンの荘厳な演奏が始まった。

サン・ロッコ信者会へ。壁と天井を埋め尽くすティントレットの絵の数々。
この画家は宗教絵画なのに構図や表情に動きがあって飽きない。
まだシスティーナ礼拝堂を観た事のない僕だが、この大きさでも天井画を描く苦労が忍ばれる。

ホールの入口には鏡があって、それを使うと楽に見られるようだが、僕は苦労してでも自分の目で見る事にした。
絵を保護するためかカーテンが閉められており、天井に向けて淡い照明があてられていた。

2年前の夏にスケッチした風景を探す。
場所はアカデミア橋近くの川沿いで、遠くにドームと鐘塔が見える構図だ。
しかしながら見つからない。
季節が違うのとお祭りの飾り付けでまちの雰囲気がちょっと変わっているせいかもしれない。

結局あきらめて先に飯を食うことにした。店は昨日見つけておいた海鮮料理の美味そうな店。
でも何人か待っている人がいる。
僕の番が来ても座らせてくれず、後から来た4人連れが先に入る。

ウェイトレスが僕にイタリア語で何か言うが分からない。
カウンターで食べていた若い男が「小さいテーブルが空くまで待ってくれってさ。」と訳してくれる。
親切な人だ。

しかし待たされすぎている。もう何組にも抜かされた。
せめて2人連れだったら状況も変わったかも知れないが、一人旅はつらい。ホテル取りと逆だ。
かなり裏通りなのにも関わらず人気のある店らしいが、これで不味かったら参るなあと思いつつ、
なかなか持ってきてくれないメニューを待つ。

ところが、その心配は見事に裏切られた。美味い!
まずタコのサラダ。この辺で捕れたらしいタコとセロリ、甘くて美味いパプリカ、ルッコラなどが入っていて、それぞれの野菜の味がハッキリ出ていて美味い。

セロリはしっかりと苦く、赤と黄のパプリカは苦みと甘みを兼ね備えている。
タコの美味さは言うに及ばず。 そしてルッコラのサラダ。始めは何だか雑草みたいだなと思ったが、この苦みとピリッとした山葵のような辛み、そして緑の香りが弾けるようだ。

イカと墨のパスタ。これはもう神様に頼んで昨日の罰当たりなスパゲティーの味を記憶から消してもらいたいくらい美味い。

地元と旅行者の両方に人気のある店らしいが、カルネヴァーレで放っておいても客が来るからと言って手抜きしないところが偉い。
パスタが出てくるのにもかなり時間がかかった。
昨日の店のように5,6分で出てくる方がおかしいのだ(作り貯めでもしていたのだろう)。
これで1/4ワインと合わせて3万2千リラ。喜んでもっと払いたいが、金がないので出来ない。
大人になって余裕が出来たら、また来てチップでも弾みたい。

サン・ジョバンニ・エ・パウロ教会の広場に座って日記を書く。陽光が優しい。
小さな船が行き来する。かすかな潮の香りがする。昨日までのヴェネツィアとずいぶん違う。
幸せな気分だ。

教会内部は落ち着いた雰囲気。
傾きかけた午後の日が、天窓やステンドグラスからはっきりとした光の帯を作って床に陽光を落としている。

サン・マルコ広場に行ってみる。一昨日とは比べものにならないほどの人混み。
美味く身動きが取れないくらいだ。一体この狭い島のどこにこれだけの人がいたのかと首を傾げる。
仮装の人の割合も増えている。

割といい年をした重役タイプの初老紳士やおばあさんまでもがピエロみたいな帽子を
被って歩いている。若い人はフェイス・ペインティングをしている。
僕も何度か「ペインティング?」と声を掛けられた。

サン・マルコ寺院博物館に避難する。聖歌の譜面やヴェネツィアのシンボルである有翼の獅子像、そして寺院のファザードを飾っていた4頭の青銅馬像のオリジナルがあった。
本物の馬よりも一回り大きい。すごい躍動感だ。

イタリアに来るといつも思うんだけど、最近の彫刻家は例えば市役所前に飾ってあるような
教科書的少年少女像か、抽象的で不可解なオブジェを作ってばっかりで面白味がない。

聖歌隊の衣装らしいヴェネツィアン・レースのスモックがあった。よく見ると信じられないほど細かい。まるで本物の水草のように小さな葉の一枚一枚までが表現されている。

外に出る。カルネヴァーレは盛り上がり続ける。

大道芸人、フェイスペインター、楽器を弾く人、仮装してポーズを取る人、はしゃぎ回る子供、鳩に餌をやる人、写真を撮る人、物売り。 紙吹雪が舞い、舞台の上では寸劇が催される。
煙草とコーヒー匂い、時たまわき起こる歓声。

これがまだ序の口で、週末と最終日(来週の火曜日)にはもっと盛り上がるなんてとても信じられない。僕はあさってにこのヴェネツィアを後にする事を寂しいとは感じながらも、内心はちょっとホッとしている。

祭りは充分に楽しんだ。
でも今度来る時には春か夏の、あの神様の庭のような静寂のヴェネツィアを訪れたいと思う。

"Casa mia"に夕食をとりに行く。ちょうどヒゲの親父が買い出し帰りで段ボールを担いでいたので、ドアを開けてあげる。すると笑顔で「Grazie!」と言ってくれて扱いが断然良くなる。
常連客と認めてくれたら嬉しいのだが。

昼に食べた緑の葉ルッコラのピッツァがあったので頼んでみる。これがまた美味い。
ゴルゴンゾラがあまりにも美味いのでモツァレラを敬遠していたのだが、実にもったいない事をしてしまった。ルッコラの苦みにピッツァ生地を噛むと感じる小麦の甘み、そして生ハム(プロシュート)の塩気が絶妙で、親父がテーブルにドスンと置いてくれたオリーブオイルをかけるとまた堪らない。

イタリアのピッツェリアには殆どタバスコがないのを物足りなく感じていたが、そんなもったいない事出来る訳がない。

できたらピッツァのメニューの数(30以上ある)だけ滞在して上から順に食べたいのだが、そうもいかない。うまく行っても明日の昼と夜の2回しか食べられないのが残念だ。
でも明日の昼にここのピッツァを食べると、今日の昼に行ったOsteria da Albertoの他のメニューが食べられないのもまた残念だ。
そしてピッツァばかり食べていると、この店の他の料理(特に魚介類が美味そうだ)を体験できないのも残念だ。

まったく、いったい何が悲しくて昨日の昼食をあんなくだらない店でとってしまったのだろう?
一生のうちで食事の回数は限られているのだ。まして旅行中、そしてヴェネツィア滞在中には。
しかし、これでまた一つこの島を再訪する理由(というか口実に近い)が増えた。
まったく、何度訪れても何かしら新しい発見と魅力に溢れた島だ。
水没なんて5万年くらい先に延期して欲しい。

いよいよ明日一日で住み慣れた(と言ってもいいと思う)ヴェネツィアともお別れだ。

僕は南下を始め、次の目的地であるフェッラーラを目指す。

ヴェネツィアを去る頃、この度はちょうど前半を終える事になる。 11時頃就寝。よく眠る。


サン・マルコ寺院前。
やはり陽光が良く似合う。


広場で鳩と遊ぶ子供達。


ここは、サン・マルコ広場。
座っているのは鐘楼の土台です。


中性に迷い込んだかのような一枚。



ホテル近くの広場にて。


夕暮れ。
獅子象に跨る仮面の男。



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