イタリア編 〜


1997年 1月 2日(土)
ローマ:曇
シエナ:晴れ

8時半に目覚ましをセットしておいたのだが、8時前に目が覚める。
耳栓をとるとバスやバイクの騒音がひどい。

10:05のインターシティーなので、近くのBarで朝食。ツナのサンドとコーヒーを注文したら小さいカップに苦いエスプレッソが出た。

そうだった。イタリアでただcafeと言ったらエスプレッソなのだ。
昨日より少し寒い。

一ヶ月有効のイタリア・レイルパスを手に入れて来たが、これは最初に使用開始日を打刻してもらう必要がある。

そのオフィスでひと騒動。
まず、長い行列。
みんなややこしい注文をするので、列は動かない。
スペイン語を話す酔っぱらった親父が、列に並んだ人々に何か入った紙袋を売りつけようとする。

フィレンツェ行き列車の時刻が近づいている。
僕の前に並んだ、若い男性韓国人バックパッカーの二人組の番。
どうやらパスを紛失したらしい。
旅は残り少ないらしく5日間有効のパスを求めるが、最低10日間からしか無いらしい。

駅員のおじさんは次善の策を提案し、二人はそれについて検討する。そして時間は刻一刻と流れていく。

ようやく話がまとまりかけると、列車の時刻まで、あと5分あまり。

そこで突然、さっきの酔っぱらいがポケットから出したペセタ硬貨を両替しろと言ってカウンターにぶちまけた。
両替カウンターは隣だし、第一、横はいりだ。
前の二人の話もまだ終わっていないし、僕の後ろの乗客も唖然としている。

しかし駅員は咎めるどころか、まるで何事もなかったように両替に応じてしまう。

その、一分間の両替が僕を焦らせた。
僕は韓国の二人に頼んで、彼らの支払いの前に日付を押してもらい、猛ダッシュでホームに向かった。

11番線は、広い駅舎の逆側。
しかも10両目が僕の予約した席。ホームに立っていた女の子が、走る僕を見て「がんばれ!」と言ってくれた。

車両に飛び乗り、振り返るとニッコリ笑ってくれた。僕も笑いかえす。

そして2,3歩足を進めると「プシューッ」っと音を立ててドアが閉まり、列車が動き始めた。

イタリアの列車はいい加減で有名だが、今回はきちんと定刻に発車した。時にはもう少しいい加減でもいいのに(逆だったら腹が立つが)。

駅員の悠長さも、あの女の子の優しさも、イタリア人の大きな特徴だ。

旅の始めに、象徴的な出来事だった。
 
僕は、ちょっと疲れるローマを出発してたった10分後には、広がり始めた田園風景の中にいた。

記憶と違ってフィレンツェ駅前からは、花のドゥオーモが見えた。
昔僕たちは、ずいぶん歩いた覚えがある。

天気は晴れといって良い。
朝のローマより暖かいので、北上した気はしない。

赤煉瓦と自転車が増えた。ここはトスカナ地方だ。
僕はローマを離れた。

シエナ行きのバスを待つ。
ジブラルタルからアルヘシラスに戻ったあの暑い日を思い出させる屋内型バスターミナル。
鮮やかなブルーのバスが行き来している。

「地球の歩き方」では、フィレンツェ−シエナ間は1時間とある。
しかし実際はたっぷり2時間以上かかった。

やはりこの本は参考程度にしよう。

でもバスから見える風景は素晴らしかった。段々になった葡萄畑、城のようなワイナリー、ワンボックスワゴン大の石の教会を並べたような墓地。尾根に点在する家々。

ローマを出てようやくイタリアが見えてきたような気がしてきた。

いくつかの街を抜ける。
1時間で着くと思っていた僕は、ここがシエナ?今度こそシエナ?と何度もだまされた。

通る街それぞれに特徴があり、住む人々がいる。北なので日当たりを良くするためか、ローマより窓やドアが大きい。

名もない街(あるのだろうが)のトラットリア、広場、教会。

尻は痛いがバスの旅というのも良いものだ。

運転手のラジカセから「Back to the USSR」が聴こえる。空腹で乗車したせいか珍しくちょっと酔ってしまった頃、シエナに着いた。

僕はもうだまされないぞと構えていたが、運転手が「ここで終わりだよ」と言ってバスの行き先表示をSIENAからFIRENZEに変えた。

バスを降りると、谷の向こうに高い塔とドゥオーモが見えた。
ひんやりとした空気と、息をのむ美しさ!

建物は坂沿いに造られており、古い古い石造りで、下へ下へと階段が続く。
丘の上のシエナの街は城壁に囲まれている。

曲がりくねったきつい坂道。
車通りはほとんどない。

ここはローマでもフィレンツェでもない。

隣に宿舎が併設された教会があった。ブザーを押すと格子細工を施した黒い鉄扉が開いた。小さな中庭に池があり、ベンチや花が囲っている。
建物に入ると、初老のシスターが迎えてくれた。部屋は50000リラ(4000円)。
でも、僕はここがひと目で気に入ったので、泊まることにする。

節電のためか廊下が暗い。ところどころにマリアの絵がある。平屋だと思ったのに階段を下りる。谷沿いに建っているのだ。

窓を開けるとベランダがあり、煉瓦の家々の向こうにドゥオーモが神々しくそびえ立っている。
僕は、ローマを離れてここへ来て良かったとこの時思った。

時刻は4時過ぎで日も傾きかけていたが、とりあえず出かけることにする。

建物の間の谷間のような道を上り下り。ここは本当に坂が多い。

時折り、頭上を廊下橋が渡る。煉瓦は相当古い時代の物のようだ。静かで、まるで山のヴェネツィアのようだ。
歩けば歩くほど、ここが気に入っていくのが感じられた。
曲がりくねった細い道。トンネルのような通り道。中庭。花壇。小さな店。広場。教会。
山のせいか少し空気がひんやりしているが、それがシエナの土地
柄を感じさせる。

扇形の、まるで劇場のようなカンポ広場に出た。
宮殿の塔がそびえ立つ。これも宿の窓から先だけ見えた。

僕は大学の図書館で、渋澤龍彦がこのシエナの塔の前にいる写真を見てから、いつか来てみたいと思っていたのだ。

塔には、今日はもう登れないので(僕は高いところが大好きなのだが)、ドゥオーモへ。
道が入り組んでいて東西南北の感覚がまったくとれないが、この二つの建物が街のランドマークになる。

ドゥオーモの様式は変わっていて、フィレンツェのに似ているが少し小さく、こっちの方が細工が細かい。
入場料を払うと床面モザイクの説明図をくれた。この教会の床は一面がイコンのような宗教画のモザイクで、それをロープで守ってあるため足を踏める場所が非常に少ない。
どのモザイクも美しいが、教会そのものの彫刻や説教壇の美しさは抜群だと思った。
付属の古い小さな図書館にいたら、シエナで初めて日本人観光客が来た。

行きと別の道を通って帰る。目抜き通りらしく。様々な店でにぎわう。この道だと坂の上り下りなしで戻れるのを発見。

シスターに鍵をもらって部屋へ。夕暮れになると廊下の暗さがちょっと怖い。
部屋はヒーターでほんのり暖められていた。ローマでは暖房は全然使っていなかったから、北上と山あいにいることを感じる。

日が暮れるとドゥオーモが照らし出され、いよいよ荘厳な雰囲気になってきた。

僕は窓辺の机に座り、それを見ながら今日一日の出来事を書く。
6時になると、競う合うように方々から鐘の音が聞こえた。

この部屋はツインルームで、ベッドの枕元にはあの「受胎告知」のミニチュアが飾られている。教会の宿舎なのに灰皿もあり、廊下にはコーヒーの自販機もある。
でも、結婚していないカップルはお断りだそうだ。

ローマ疲れと移動疲れで眠い。外に食事をとりに行こうかとも思ったが、あっさり9時頃眠る。

ここにはもう一泊するつもり。
シエナも良いが、この宿舎も良い。


色の統一がとれた、シエナの町並み


宿舎の窓からドゥオーモを見上げる。
教会施設らしく、右上に小さな十字架が見える。


カンポ広場。
仮装の子供たちが祭りを予感させる。
左の黒ずくめ少年は、イタリアで大人気の「怪傑ゾロ」だ。


 塔を見上げる。
ここは壁に囲われた丘の上の町、
シエナの中心。



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