イタリア編 〜


1997年 1月 2日(日)
シエナ:晴れ

6時頃目覚める。外はまだ暗い。窓を開けると薄闇の中にドゥオーモと塔が浮かび上がって神秘的。
7時になると昨日の夜と同じように方々から鐘が鳴り響く。

じっと窓の外を見ていると、空が青みを帯びてきた。これがシエナの一日の始まりだ。
洗濯をしているうちに明るくなった。もうドゥオーモの灯も消されている。洗ったものを干していると、まるで自分がずいぶん長くここで暮らしているような気になってきた。

シエナの美しさは、建物の色が薄い赤茶色の煉瓦に統一されているところにあると思う。段々畑式に立っているので屋根より壁が目立つのだ。おそらく建材の出どころと建てた年代が同じなのだろう。

窓に使われた濃い目の鮮やかなグリーンが、そのシエナ色を引き立たせている。

郵便局広場(本当の名前はPraza Matteotti)で朝食を取る。イタリアはどこも同じでパン(パニーニ)がちょっと高くて、コーヒーが安い。

思いつきで入った通りでサン・フランチェスコ教会へ。シエナ煉瓦でできた箱型の教会で、中はバスケットボール・コートが裕に2,3面は取れるほどの広さ。しかも前のほうにいすが並べてあるだけで、あとはきれいサッパリ何も無い。高さが30m以上ありそうな天井は何と木製だ。
明かりはステンドグラスから差し込む朝日とロウソクだけ。

きっと、こっちは観光から免れた庶民の教会なのだろう。早朝だと言うのに老人の男性が何人かいて挨拶していた。

教会前広場に座っていると前の建物から太陽がやっと姿を見せた。
時刻は9時。いい天気になりそうだが、山あいと言うこともあって気温はちょっと低い。短髪の後頭部が寒い。

朝の散歩を終え、宿舎に戻る。昨日池だと思っていた中庭の窪みは、半地下室への入り口だった。
自動販売機でココアを求めるが動かない、どうやらコインとの相性が悪いらしい。シスターが使えるコインと取り替えてくれた。ココアはとても甘い。部屋の中はきれいに片付けられていた。人が入るとは知らず散らかしていたので恥ずかしい。

日差しは強くなっている。外は寒いのにオイルヒーターのおかげもあって部屋の中はまるで夏の朝のようだ。
車の音も時折は聞こえるが、小鳥のさえずりも聞こえる。犬が遠くで吠えている。僕はローマを離れて心からホッとしている。こんな街を求めていたのだ。
 
隣の教会を見学に行く。昨日から探していた入り口がやっと分かった。僕の部屋から見えた石像が立っている。教会の中庭から僕の洗濯物が丸見え。入り口は平屋のように見えて自分の部屋へは階段を降りたのに、外から見ると宿舎は5階建てで、僕の部屋は地上4階だった。坂に建っているせいだ。この土地の、そんな謎めいた作りも好きだ。僕は迷宮都市のちょっとしたマニアなのだ。

町の中心プッブリコ宮殿に出かけ、昨日登れなかったマンジャの塔に登ることにする。
螺旋階段は小人の城のように狭く、果てしない。
僕は何度も頭をぶつけた。ようやく開けた場所に出ると、サン・ドメニコ教会、僕の宿舎、その教会が見え、朝の散歩道の向こうにサン・フランチェスコ教会が見えた。

シエナの街は城壁に囲まれ、外にははるか遠くまで田園が広がっていた。遠い街。
その教会。どこまでも生活の匂いがする。
上空(と言っていいと思う)は非常に寒く、さっき宿舎に寄ったときに被った毛糸のワッチキャップがありがたい。帽子の有無で一日の印象は違っていたかもしれない。

眼下には扇形に広がるカンポ広場。日が高くなってようやく人が集まり始めた。バカンス・シーズンにはこの塔に行列ができるそうだが、あんな狭い階段をいったいどうやって行き来するのだろうか?僕が塔で会ったのは10人に満たなかった。うち子供が2人。

宮殿を見学したあと腹が減ったので大学食堂(Menza)を探した。婦人警官・おばあさんなどいろいろな人に尋ねてやっと発見したが、今日は日曜日なので休み。
仕方なく街外れに来たついでに城壁の外に出てみることにする。

一歩踏み出すと街並みがぱったり途絶え、あるのは低い煉瓦塀となだらかに広がる丘のオリーブ畑、農家のみ。ちょうどお昼なので日も高く、風もなく穏やか。ここまで来る観光客もあまりいないだろう。

ピッツェリアで昼食。カプリチョーザと1/4白ワインを頼む。
眼鏡をかけていて、やたら真面目に働くウェイトレスは、さっきの大学の学生だろうか。

食後、ドゥオーモの脇のベンチで地元らしいおばあさんが声を掛けてきた。僕は塔に登ったことや壁の外を散歩したことを話し、彼女にシエナのおいしいパスタ(アスィート)を教えてもらった。
耳が遠いのかやけに声が大きく、人の少ない広場に良く響いた。僕も適当なイタリア語なのに大声で話した。とても感じのいい人だった。

その後カンポ広場に腰を落ち着けた。時刻は2時半に近い。広場はちょうど半分のところで日向と日陰に分かれている。闘牛場の券で言うとソル・イ・ソンブラという感じ。その日向側の半分に人々は集まり、思い思いの時間を過ごしている。

お祭りでもあったのか星型や丸の紙ふぶきが広場中に落ちている。
たくさんの仮装した子供達とすれ違いながら宿舎に戻る。シスターに「お祭りでもあるんですか?」と聞いたが違うと言う。セーラームーンもの格好の女の子もいた。そう言えばローマのホテルでは北斗の拳とシティーハンターとハイジをTVで観た。こんなものまで輸出しているんだなあと妙に感心した。

洗濯物が良く乾いている。
隣の教会は一応スーベニアショップなどもあるが僕がベランダから見た限り誰も入っていない。泊めてもらった恩があるからじゃないけど、頑張ってほしい教会だ。宿舎は人気があるようだが。

ここに帰ってくると本当に落ち着く。できれば動きたくないが、そうも言ってられないので明日発ってフィレンツェに戻り、ジェノヴァにでも行こうと思う。

6時前に夕食に出る。シスターに美味しいレストランはありますか?と聞くと即答で「Chiacchera」(キアケッラ)と言う店を紹介してくれた。

暗くなった通りを恐る恐る進むと、路地裏に店は見つかったが、やっていない。何人かの観光客が立ち止まるが、明かりこそついているもののやっていないものはやっていない。
スペイン人らしいカップルに、ドアの札が何て書いているのか尋ねられたが、日本人の僕のほうがよっぽど分からない。
お互い笑顔で肩をすくめ、二人はあきらめて行ってしまった。

僕もほかのレストランを探すが、どうもダメ。観光客向けの店かマクドナルド、またはバールの片手間見たいなのばっかり。昼食べた店もなかなか美味しかったから、遠いけどそこにしようかと考えながらキアケッラの前を通りかかると、明かりのついたドアの向こうから音楽が流れていた。
ふと足を止めてメニューを見ていると中から女の人が出てきて、「7時からよ。」と教えてくれた。

出直して7時ちょうどにキアケッラに行くと、すでに40歳くらいの夫婦が着席しており、合い席をすすめてくれた。ウディー・アレンが若くなったような旦那と、サンドラ・ブロックがその年になったような奥さん。
僕がメニューと睨めっこしているとすぐに旦那さんが助け舟を出してくれた。名前はMarcoとAntnietta。何とボローニャでレストランをやっているそうだ。

彼のおすすめトスカナ料理と1/2白ワインを注文する。
「シチリアは怖いって本当ですか?」
「うーん、確かに人は閉鎖的だけど、大丈夫だよ」
「じゃあ行ってみます。」
「学生?何を勉強しているの?」
 と伊・英混じりで何とか会話が成り立つ。

僕がきのこソースの太い太いパスタ(Pici)を日本のうどんのようだと言うと、マルコ氏はえらく興味を持った。
「君はバナナ・ヨシモトを知っているか?僕は『キッチン』をイタリア語で読んだんだよ。」と言う。
 僕が旅の間持ち歩いている村上春樹の『遠い太鼓』に、パレルモは最低でボローニャはとても良い街だと書いてあると言うと、大喜びしていた。

2皿目はPetto di pollo acca uernaccia。鶏ささみのソテー。ちとしょっぱいが美味い。
話が弾んでワインが進む。Marcoは英語が上手でAntniettaは伊英辞典を使ってくれた。
「ボローニャに来たら僕のレストランに来てね。日曜は休みだからね。」
 と言って店のカードをくれた。
「絶対行きます!Grazie mille!」
 握手をして別れる。

とにかく楽しかった。正直言って昼間はちょっと寂しく、知人の一人もいないこの地に少し心細さも感じていたのだ。

しばらくして勘定を頼むと、アントニオ・バンデラスに良く似た若いウェイターが「さっきのお客さんにいただいてます。」
 と言った。僕はあわてて彼に礼を言い、外に出たが二人の姿は夜の中に消え、どこにも見当たらなかった。

僕はこの素晴らしい夜を、ずっと忘れないだろう。
ボローニャに行ったら絶対に彼のリストランテを訪れよう。
旅ってやつは時としてウンザリすることもあるが、実に、実に素晴らしい。だからいつになってもやめられないし、死ぬまで旅好きの病は治らないと思う。

果たしてシエナと言う街がこんなに素晴らしく思い出深くていいのだろうか?

僕はグリニッジ天文台の近くでにこやかに道を教えてくれた女の子を思い出した。
もし世界中がこんな気持ちに満ちていたら戦争なんて起こらないのに。少なくとも僕は世界中で世話になった分、世界中で恩返ししながら生きていきたい。

夕食ご馳走になったくらいで大げだと言われそうだが、この夜のおかげでそんな気持ちになった。


朝のシエナの街を見降ろす。
サン・フランチェスコ教会が見える。
街の果てからは緑が広がる。


宿舎を併設する教会からの眺め。
気になっていた石像をやっと見られる。
洗濯物が干してあるのが僕の部屋。


街じゅうに鳴り響く鐘を鳴らす、鉄の槌。
右が(たぶん)サン・ドメニコ教会。


Piaggio社のオート三輪。
東京で乗ってたら、
可愛くて便利だと思いませんか?


お世話になった宿舎の窓辺。
このままここに一ヶ月居ようかと
思ってしまうほどの心地よさ。



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