イタリア編 〜


1997年 1月 2日(金)
ローマ:曇

8時に起床し、階下で朝食。朝食付きのホテルなんて、この旅ではおそらく最初で最後だろう。体はもっと眠りを要求している。

窓からは中庭が見下ろせる。

今日はローマを散歩してから、安宿に移ろうと思う。

歩き出す。テルミニ駅に荷物を預ける。
ローマの街はもう動き始めていて、一夜明けても雑踏と車の騒音はひどい。

まだ一月の終わりだというのに気温は高く、東京と同じダウンジャケットを着ていると汗ばむ。

昔見たミケランジェロの「モーセ」のあるサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会を探したが坂が多く迷い、ふと広い道にでたら眼前にいきなり、あのコロッセオが現れた。
やはりどうしても圧倒されてしまう。

すると、一度行った教会のことなどどうでも良くなり、僕はコロッセオの入り口をくぐった(一階は無料)。

薄曇りだったが、日が柔らかく差し始めている。
もうローマは春を待つのみのようだ。

アリーナ(闘技場)の下には猛獣や奴隷の檻の跡。
2000年近く昔、ここでは東京ドームとほぼ同じ5万人もの観客が彼らの死闘に狂喜したのだ。
 
頭の痛くなるほどうるさい車通りを迷い迷い、パンテオンへ。
2千年の時を経た巨大な姿(コロッセオもだけど)。

ドーム屋根の中央には直径数メートルの丸い天窓が開いていて、石の床にまっすぐな淡い光を落としている。当然電気はついていないが、そのために建物の中は明るい。

目に映る色と言えば、柱に使われたマーブルの象牙色と天井の石の灰色のみ。
あれだけうるさかったローマの雑踏も、ここには届かない。

均整のとれたその美しさは、東京に溢れ返るオブジェを擁した近代建築の不毛さを改めて感じさせる。

歩いてナヴォナ広場に入ると、うるさかった車がぱったりと途絶える。
ここは乗り入れ禁止らしい。
まるで突然ヴェネツィアの広場に出たようだ。
全てがゆったりと設計されている。

両側に天使が並ぶサンタンジェロ(聖天使)橋でテヴェレ川を渡り、ヴァチカンへ向かうが、美術館は午前中で閉まっていた。
前回と同じ過ちだ。仕方ない。最後に来ることにしよう。

巨大なサン・ピエトロ寺院は季節のせいもあって空いており、以前よりじっくりとミケランジェロの「ピエタ」を見られた。
25歳のミケランジェロはきっと常人の何万倍もものを見たり書いたり感じたりしていたのだろう。

観光客が少ないので、冬の寺院は静かで荘厳な趣。
寒くはないのに、空気が少しピンとしていた。
例えば彫刻のディテールや信者の眼差しなど、4年前人だかりに気おされて見えなかったいろいろなものが見えてくる。

スペイン広場まで歩く。

何もコンドッティ通りで買い物がしたいわけじゃないし、オードリーのいた階段で写真が撮りたいわけでもない(とっくに昔撮ったが)。

英詩人キーツとシェリーの記念館に行きたいのだ。
大学の選択必修科目で19世紀英詩を履修し、いやいやレポートを書いているうち、キーツが好きになった。

彼が肺結核で死んだその日までを過ごした家がスペイン階段の脇にあるのだ。

コンドッティ通りは日本人買い物客でいっぱい。フェラガモとルイ・ヴィトン前には、なんと入店を待つ行列ができていた。

記念館はいとも簡単に見つかった。本当に階段の真横だ。
建物に入ると外のざわめきが嘘のように静まり返った。狭い階段を上る。キーツ、シェリー、バイロン、そしてメアリ・シェリーの肖像画が壁を飾る。
英国文学史の教科書に載っていた通りだ。

壁には一面の貴重そうな本。上から木製の枠がはめ込まれ、手に取ることはできない。

手紙や日記など直筆の書。感動。
マジメに授業受けて良かった。

一番奥の狭い部屋の柱には金属板がはめ込まれている。
 「1821年2月23日、John Keatsはこの部屋で逝去。」

僕はこの部屋で暮らす彼の姿を想像してみた。
広場の方に向けて机が置いてある。
ここで最後の詩作に耽った彼は、25歳で母と同じ病に倒れたのだ。

窓からはスペイン広場が見えた。GUCCIやMaxMaraの紙袋を下げた買い物客でいっぱいだが、彼が死んだ176年前には、まだ「ローマの休日」も公開されていなかったから、ここもただの教会前広場だったのだろう。

帰国前にでもキーツの墓に行ってみようと思う。

テルミニ駅近くに戻り、安い宿を探す。
最初入った所は80000リラでパス。
次の「Andreina Hotel」は45000リラ(3600円)で、ダブルベッドを一人で使える。
シャワーは共同だし予算よりまだ高いが、昨夜との落差が大きすぎるのもツライし、まあ良しとする。

駅に戻って明朝のフィレンツェ行きを予約し、預けていた荷物を引き取る。
フィレンツェではなく、その先のシエナが目的地だ。

ホテルとなりの食堂は安くて人気のようだ。
ツーリストメニュー(肉or魚、パスタ、ワイン、デザート)が15000リラ。
ローマにしては安い。日本語のメニューがある店はヒドイ味が多いが、けっこう美味かった。
牛テールとカネロニを食べる。
でも隣の女の子のデザートは銀皿のフルーツ盛り合わせなのに、僕はバナナ一本のゴリラ扱い。
しかし、まあまあ安いのと数種のメニューから選べるのは魅力だ。
また来よう。

10時頃眠る。

 


僕の前を横切る猫。
コロッセオには、実にたくさん
の猫が棲み付いている。


実際にはずっと後に訪れた
ローマの外れにあるキーツの墓(左)。

詩人なのでの竪琴の彫刻が。
手前には猫。後ろには巨大なピラミッド。


 移った安宿のエレベーター。
螺旋階段の中央にあるのだが、
イタリアでは結構よく見かけるタイプ。



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