1994年 9月 15日(木)
タンジェ:晴れ


人々は日陰のテーブルで、緑の葉をたくさん入れた茶のようなものを飲んでいる。
コーラやファンタの看板もアラビア語。
もっとも、飲んでいる現地人は殆ど見あたらない。

たった2時間と少しスペインから船に乗っただけで、かくも違うものなのか。
ここは、まさにアフリカだ。いや、イスラム圏だ。
スペインの影響らしきものは、旅行者向けのレストランくらいだ。
広場の塔には、あのアルハンブラ宮殿で見たような不思議な模様。広場は、一段と埃っぽく騒がしい。
聴き慣れない民族音楽がそこかしこで聞こえる。
警官もいるが、あまりやる気が見られない。

長い坂を登って、宮殿跡に向かう。
道の中央は車道。両側は階段。
犬や猫が多い。
映画「アラジン」などでよく見る、ひょうたんのような鍵穴のような形のアーチが目立つ。
通りの名前は読めないので、どの道を歩いてきたか確認できない。
皆が僕を奇異の目で見る。
広場は騒がしいが、人通りの少ない道は怖い。
さっき貴重品はジーンズの中に押し込んで財布にひもを結んだが、やはり警官の姿が消えると怖い。
パックツアーでも何でもないから、誰一人自分を守ってはくれない。

やがて、古い城壁が見えた。くぐると、若い数人の男達が手に手に銀細工や革ベルトを持って観光客を待っていたが、僕たちには目もくれずビデオカメラを肩に提げた中年のヨーロッパ人観光客の方に皆行ってしまった。

売り買いをする彼らを見ていて、僕は疲れとともにたまらない哀しさを感じた。
タンジェはヨーロッパからの玄関口とは言えど全く違った文化を持つ興味深い街だ。だから多くの観光客が訪れる。
だからといって訳の分からない物を押し売られて、訳も分からずに金を落としていくだけではあまりにも哀しい。
これではタンジェの何が分かるわけでもない。

しかし、より深く街に入り込めば当然危険が伴う。
かと言って危険を避けてツアーに参加すれば、もっと何も見えなくなる。これではどうしようもない。

僕は、つらい気分のまま坂を登り続けた。
そこには壁があり、その向こうには突き出た一角がある。

壁の向こうには、海があった。

僕はその海を見た瞬間、まるで暗雲が風に吹き飛ばされるような気
持ちになった。

その青色は、今までのどの海の色とも違っていた。

地中海の深いコバルトブルーではない。
もっと明るく、緑色がかっている。
遠くに、スペインが霞んで見えた。
西は大西洋、東は地中海だ。
僕は今、アフリカ大陸の土を踏んでいる。
ただそれだけのことなのに、僕は不思議に崇高な気持ちになった。

グラナダからそのままセビーリャに行くことも、もちろん出来た。
そうすれば日数に余裕が出来て、もっとゆっくりスペインを見てまわれただろう。
でも、ここに立ってこの海を見ることは出来なかった。

僕はしばらく壁の上に座って海を眺めていた。
風は潮くさくて、騒がしい欧米人ツアー客もやってきたが、そんなことはどうでも良かった。

ついにモロッコに来たのだ。
やる気があれば誰にでも出来ることではあるが、ここまで来た奴はそれほど多くはないだろう。

今回はたった一日の滞在だったが、次はマラケシュ、カサブランカ、
さらにその先を目指したい。

宮殿からの帰りは別の道を通った。

港に向かうつもりだったのだが、
あまりにもゴチャゴチャした危なさそうな道なので、ツアーの近くを歩いた。
下り坂の両側に銀器屋、革製品屋、その他胡散臭い店に胡散臭い売り子達。
ツアーに紛れていなかったら、きっと捕まっていただろう。

やがてさっきの広場に出たので、港近くで昼食。
旅行者向きの無個性な店だったが、現地通貨がないので、この土地の料理を味わうのは次回のお楽しみにしたい。

この時までは予定通り、無事に帰れると思っていた。


海と港を見下ろす城の壁の上。
ここから見えるフェリーに乗って来た。



港まで降りて来た。

フランスにも統治されていた影響で、
看板はアラビア語・フランス語。
上から「Gares Maritimes(港)」、
「Magasins(倉庫)」、
「Sous direction des douanes(税関)」。



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