イタリア編 〜


1997年 2月11日(火) ボローニャ:曇り マントヴァ:霧/曇り

軍隊式のけたたましいベルに叩き起こされる。

二晩使ったベッドを引き払い、朝食を取っていると昨日発ったはずの立命館の学生が入ってきた。
ヴェネツィアのカルネヴァーレを観に行ったのだが、現地はおろかパドヴァのYHにさえ泊まれなかったと言う。
仕方がないのでここに戻って泊まり、日帰りで観に行くつもりだという。

ボローニャ駅で彼と別れ、ヴェローナ行きに乗り、マントヴァへ行く。
重いリュックを背負って安ホテルを探し求めるが、最低でも6万5千リラ。ちょっとキツい。
一度YHの味を知ってしまうと、3倍かかるのがバカバカしく感じる。
僕は駅に荷物を預けて、今日一日マントヴァを歩いたら立命館の彼と同様、ボローニャのYHに戻ることにする
(バックパッカー的発想)。

銀行に寄って両替する。1万円→13万1770リラ。とても良いレートだ。
残りの日程に必要な分全てを両替したくなるが、3万円が限度らしい。
それでも40万リラ近くになり、とても良い気分で昼食を求める。

適当に入ったツーリスティックな店だったので「こりゃヤバイかな」と思ったが、まあまあ美味かった。
お気に入りの4フォルマジオピッツァを頼んだのにゴルゴンゾラは影も形もなく、なぜかたっぷりのモツァレラ
だったがこれはこれで悪くない。

邸宅の中庭に、ヴェルディのオペラ悲劇の主人公・リゴレット像があった。
16世紀の物語。好色のマントヴァ公爵に娘ジルダを弄ばれ、怒った道化師のリゴレットは彼の殺害を
企てるが、殺したのは愛するマントヴァ公を守ったジルダ。それを知らずに死体の入った袋を川に
流そうとするリゴレットの耳に聞こえてくる公爵の陽気な歌声。

薄暗い中庭の植え込みの陰に立つ、恨めしげな顔をした老道化師像。
鉄格子越しなので今にも動き出しそうな不気味さだ。
公爵を殺すくらいだから大男だと思っていた僕のイメージとは違って、背中の曲がった老人。
彼は殺し屋を雇ったのだと後で知った。でも、凄く迫力はあった。

広大な敷地に建てられた別荘だというテ離宮まで足を伸ばすが、中はガッカリするくらい何もなく、
楽しみにしていた『巨人の間』の壁画は漫画みたいだった。
それはそれで面白いけど、1万2千リラは取り過ぎだと思う。

『リゴレット』の舞台となったドゥカーレ宮殿へ。これもひたすら巨大で部屋数が多く、しかもガイドツアーのみ
なので自分のペースでは回れず、イタリア語の解説もサッパリ分からず、ぐったりと疲れてしまった。

マントヴァという街も下手に開けていて車と人と店は多いが上手く水も買えない不便さ。
『リゴレット』の話を聞いて興味を持っていたので、かなりガッカリして街を去る。

YHにベッドがあることを祈る。日に日に宿泊客が増えているのだ。
ボローニャ到着が夜になってしまい、駅から直行のいつものバスが終わってしまったので良く分からない
乗り継ぎバスに乗る。アルゼンチンの女性が「YHに行くの?」と話しかけてくれ、とても安心した。

おかげで何とか無事に到着し、運良くベッドも空いていた(2段ベッドの上段になってしまったが)。
ここに4泊してモデナ・ラヴェンナ・サンマリノに通うことにする。

荷物を置ける起点を構えたことにより、とても気持ちが落ち着いた。
重い荷物を持ちながら安宿を探し回るのは消耗が激しいのだ。

昨日は人が少なすぎて食堂は営業していなかったが、今日はみんな食べている。
ところが時間が遅く、僕には作ってくれなかった。ショック。
仕方がないので例によってカロリーメイトをかじる。
でも、今日は隣でワインを飲んでいたグループがあったので僕も買ったまま飲みそびれていたビールを
飲み、少し幸せな気持ちになる。

今夜が最後だという立命館の学生と話す。帰国したら就職活動が待っているのだと言う。
一昨日は10人もいなかった宿泊者が、20人以上に増えている。
みんなトランプをやったり話し込んだり、楽しそうに過ごしている。

いいかげん洗濯をしないとまずい。
街中にコインランドリ-があったので明日持っていくかどうか迷っている。

南アフリカから来た白人バックパッカーと話す。
彼は北上してモナコに行き、ニースのカーニバルを見るそうだ。
二段ベッド寝心地は良くないが、なぜかぐっすり眠る。


『リゴレットの家』の中庭。
入る事は出来ず、壁の穴から撮影。


恨めしげな顔をした老道化師・リゴレット像。

江戸川乱歩の『地獄の道化師』の印象の
せいなのか、悲しい怖さを感じますね。



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