1997年 2月12日(水) ボローニャ:曇り サン・マリノ:霧
たまった洗濯物をビニール袋に入れる。コインランドリーに行くのだ。
二段ベッドから昨日南アフリカの彼が寝ていたシングルベッドに荷物を移し、朝食を取る。
遅れてきたバスに乗って立命館の学生に別れを告げ、コインランドリーへ。
ところが慌てていたので洗濯機ではなく乾燥機に入れてしまう。
しかも1万リラ入れたらお釣りが出ない。
注意書きを良く読むと、お釣りが出ない旨も書いてある。
しかもせっかく日本から持ってきた洗剤をYHに忘れてきたので1500リラで買い、洗濯機代でもう6000リラ。全部で2万3500リラも使う羽目になり、YHの宿泊代よりも高くついてしまった。
しかも乾燥機から出した洗濯物はずぶ濡れ。
どうやらさっき空いている乾燥機を探していた親父が間違えてフタを開けてしまったのが原因らしい。
全くツイていない。
水を含んでずっしり重くなった洗濯物を抱えて、駅に急ぐ。
リミニ行きの列車が近づいているのだ。
慌てたり焦ったりしていると全くロクなことがない。
その上この洗濯物を駅に預けるのでたかが1回の洗濯で3万リラ近い出費。手痛い授業料だ。
慌ててホームへ駆け上がるが、目当ての列車は影も形もない。
時刻表にはちゃんと載っているのに、訳が分からない。
仕方なく次の列車を待つ。汗だくだ。
マクドナルドでハンバーガーを買う。食べようと思っていたマックチキンは売り切れ。
ツイていない日は本当に何をやってもツイていない。
結局予定より1時間近く遅い11時20分発のリミニ行きに乗る。
イタリアの中にある小さな独立国、サン・マリノに行くわけだが、今日一日何が起こるか
想像もつかない。悪い風がすでに過ぎ去ってしまったことを願う。
さっき汗をかいたので着替えたいが、今日は荷物を置いて来ている。
昨日は結局無意味に大荷物を持ち歩いていたのに。
やっとリミニに着いて駅前でサン・マリノ行き2階建てバスに乗り換える。
バスは郊外を進み、少しずつカーブがきつくなる山道を登っていく。
小さな庭のある楽しげな作りの家々が並ぶ。井戸の周りに『七人の小人』の人形が並んでいたりする。
山の中腹にたくさん飛行機が停めてある。どうやら航空博物館らしい。
フェラーリ博物館があった。入ってみたいが冬は日曜祝日しかやっていないし、何より明後日にはフェラーリの聖地・モデナへ行くのだ。
空は薄曇りで、時刻はもう午後2時に近い。
サン・マリノに着く。崖沿いに出来た小国。
城壁の上から麓の街が見渡せる。 一応、上へと伸びる階段の頂上まで登ってみる。
街自体の作りは美しいし趣もあるのだが、道の両側は安っぽい土産物屋でいっぱい。
おもちゃのピストルやペナント、絵葉書。蝋人形館などもある。僕はだんだん気が滅入ってくる。
やれやれいったい何が悲しくて往復5時間もかけてこんなうらぶれた観光地に来ちまったんだろうと。
腹が減って買ったサンドイッチは案の定かなり前に作ったらしいパサパサの代物で、貧乏バックパッカーである僕も、さすがにこれは二口かじって捨てた。
結局たった1時間ちょっとでサン・マリノを後にする。
独立を保った小国という点でモナコと同じくらい期待していたのでちょっとガッカリ。
同じバスで来た日本人の男の子達も同じくらいガッカリしていた。
しかし、これでもう充分だろう。何日分かのアンラッキーはこうむった。
そろそろ運が開けてきたことを願う。
YHに戻ると、今日は食堂で夕食が食べられた。カルボナーラと肉とサラダとパン。決して美味いとは言えないが(給食みたいな味)、夕食がとれる事に懸けて急いで戻ったのでラッキーだった。
日本人が増えていた。
武蔵野美大の3人連れと仲良くなり、シドニィ・シェルダンの「真夜中は別の顔」をもらった。
聞けば、この本はパックパッカーの間を渡り歩いており、彼自身誰かにもらったのだと言う。
一度読んだことがあったが、有り難いことに筋を大方忘れていたので楽しく読んでしまい、
寝たのは真夜中過ぎだった。
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