イギリス編 〜


1999年9月6日(月)
ロンドン:晴れ バース:晴れ

何やらいろいろ夢を見た。

今日もさわやかに晴れている。
朝食は今日も神戸からの大学生ととったが、昨日の彼ではなく女性だ。
日本リーバに内定したので、旅行ついでにリーバ本社を見に行くのだそうだ。

僕は今日、お仕事で世話になった法学者・ワトソン先生とランチを取る予定。
日本からメールでやり取りしていたものの昨日連絡を入れたら留守電だったので会えるかどうか心配だ。
郵便局で友達に手紙を出し、先生が勤めるロースクールに電話をしてみた。取次ぎがあって、程なく懐かしく優しい先生の声がした。
12時にHolborn駅のチケット売り場で待ち合わせ。
大英博物館の近くという事なので午前中にちょっと覗こうと思っていたのだが、着いた時には11時をまわっていた。本当に少ししか見る時間がなかったが、入館してみた。
中には改装中で見られない展示もあったが、その収蔵量とスケールはやはりものすごい。

Holborn駅で衛星版の朝日新聞を立ち読みしていると、少ししてワトソン先生が現れた。
僕たちは笑顔で握手して歩き出す。
日本では目立って背の高い先生の姿も、このロンドンでは自然に溶け込んでいる。
昼食は明るい店でイタリア料理のビュッフェ。
僕はお土産として日本の本と空港で買った達磨、そして先生が気に入っていた日本の文房具をプレゼントした。
先生はイギリスという国について、お勤め先のロースクールについて、丁寧に説明してくれた。

食後、学校を案内してくれた。教員の部屋は都会的だったが、古い歴史ある敷地でロンドンの騒がしさが嘘のように静かだった。並木のある中庭では学生たちが思い思いの時を過ごしている。

先生は、僕を学長に会わせてくれた。先週我が校の法学教授もここを訪れたとの事。
100年以上前、僕の勤める大学もここロンドンに学んだ一人の法学者から始まった。

世界の果てと果てでこうして大学を通じた歴史と交流があるのが嬉しかった。

バースに向かう列車の時刻が近づいている。

僕はChancely lane駅で先生と別れ、長いエスカレーターを下る。
途中、手ぶらの先生から僕のバッグに預かっていた土産を持ったままなのに気づき、慌てて戻る。運良く再び先生に出会え、僕たちは本当にさよならした。
「何か困った事があったら言ってね」と、最後まで優しい言葉をいただいた。

パディントン駅で預けていた荷物を受け取り、鉄道パスの使用開始スタンプを押して、程なくやって来た列車に乗る。
列車がロンドンを出て10分もすると広々とした田園風景が見え始めた。

僕は昨日までロンドンという都会と自分自身の疲れにすっかり参ってしまい、正直に言ってまだ旅を楽しんでいなかった。
しかし、今この瞬間、自分の中で何かが弾けた。
僕は今、旅人なのだ。
その実感が湧いて、これから始まる旅への期待で胸がふくらんだ。

バースには、1時間で着いた。
駅を降りてしばらく歩くと、古い町並みと広場、高い石造りの塔、街を横切る河と遠い山並みが見え始めた。
僕はひと目でこの街が気に入ってしまった。
大聖堂前の広場では、女の子が一人ソプラノサックスを吹いている。
夏の終わりの日差しが優しく降り注いでいる。
僕は広場を囲むベンチの一つに腰かけ、ゆるやかなメロディー耳を傾けた。
そして、ふと少し昔の事を思い出した。
やがて演奏は終わり、僕も歩き出した。

スーパーでパンとスープと缶入りの日本茶、そしてビールを買い、YHへ向かうバスターミナルへ。
ジェノバの暴走バスを思い出させる急坂を上る。
バスを降りて緑のトンネルを抜けた、前庭のある石造りの古い建物である。ここもまた、かつては邸宅だったのだろう。
明日はストーン・ヘンジに行く事にして、2泊お願いする。
ベッドは有ったが、YHからのバスツアーは満員だった。
まあ良い。何とかなるだろう。

早く寝るつもりが、食堂で台湾人の良くしゃべる面白い女の子に捕まってしまい、話しているうちに(ほとんど聞いていただけだけど)夜中になってしまった。
部屋に戻ると真っ暗。マグライトを忘れた事がやはり痛い。

月明かりの差し込む窓を閉め、シーツにくるまって眠りに落ちた。


バースのYH。
まるでホーンテッドマンションのようだが、
良く見ると右端にYH協会の看板が。

出発する日の朝、
セルフタイマーで撮った。

高台の上にあって、
周りには芝生が多いので
夜には本当に星が綺麗だった。


この翌日は、謎の巨石群
ストーンヘンジを見に行きます。



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