1994年 9月 17日(土)
コルドバ:晴れ
朝6時15分前に飛び起きて支度。
今までで一番キツい朝だ。
6時に駅に行くが、まだ真っ暗で駅舎が開いておらず、星が出ている。
6時半頃小山さんが来て、一緒に列車に乗る。
お互いにこれから行く街の紹介をし合う。
小山さんはグラナダへ。僕たちはコルドバへ。
ちょうどすれ違って逆方向に向かうのだ。
外はまだ真っ暗で、何も見えない。
やがて眠ってしまい、目が覚めたら乗換駅のボダディラだった。
ここで小山さんと別れ、コルドバ行きに乗る。
が、列車は予約制の特急TALGOで、当然空席が2つもあるはずはなく。例によって車両連結部で過ごす。
どうせ、ほんの1時間半だ。
ところが、その後車掌につまみ出される。京成スカイライナーと同様、座席がないとダメで危うく12400ペセタもの罰金を払わなければならないところだった。
名も知らない駅。
どこからともなく馬糞のにおいがしてくる。
駅には薬屋が一軒あるだけ。
コインロッカーも無く、次の列車は2時間後。やれやれ。
でもこんなの災難の内にも入らない。
ただ待てばいいだけの話だ。
適当にカフェを見つけて入る。
英語なんか通じるはずもない。
自動車工らしい男達と、その小さい子供達。
観光客なんて居ない。レストランなんて無い。ホテルだって無かろう。
でも、教会は有った。これが生活というものだろう。
まさかこんな町に降りることになるとは思わなかったが、どうせ旅は「まさか」の連続だ。
次の列車に乗れることを祈る。
とりあえずチケットは買えた。
座れないまでも、つまみ出されることは無かろう。
ホームでギターを弾いて歌っていたら、変な目で見られた。
でも、他にすることは何も無い。
取れたボタンを付けた。その後はただただ時間が流れていくだけ。
ホームには老人ばかり。
若者が都会に憧れるのも無理はないかも知れない。
列車が着いた。
今度の車掌さんは親切な人で、空席に座りなよ、とジェスチャーで言ってくれた。
コルドバは暑かった。
駅前はべらぼうに広くて、噴水も無ければ銅像もない。
重い荷物を抱えて、宿を探す。
まだ土曜日だというのに、殆どの商店はやる気が無い。
午後二時だからかも知れない。
広場から旧市街へ。石畳と白い壁。
統一感があって、とてもいい雰囲気。
殆どの窓には、なぜか鉄格子がはまっている。
見え隠れする小さな階段や、門の少し奥にある、噴水のある中庭。
車はあまり通らない。まるで水のないヴェネツィアのようだ。
石造りの大きい教会が多いのも似ている。
この町は気に入りそうだ。
やっと見つけた宿は最高。
部屋は狭いが、共同ながらバスタブがある。
中庭の雰囲気も良くて、ひと目で気に入った。
おばさんが「学生さん?」と訊き割り引いてくれて一人1250ペセタ(1000円くらい)・安い!
荷物を置いて、上機嫌で町へ。
公衆電話から四日後のロンドン行き飛行機のリコンファーム(予約確認)をするが、韓国語の案内テープが流れるだけ。
きっと土日は休みなのだろう。月曜の朝イチにすることにした。
それでダメなら船でドーバー海峡を渡るしかない(1994年当時、ユーロトンネルは開通したばっかりで、その存在を知らなかった)。
それはそれで風情があって良いじゃないか。
メスキータへ。
ここもアルハンブラ宮殿同様イスラム教徒の建築で、メッカに次ぐ規模の寺院だそうだ。
一歩中に入って驚いた。あまりの広さ。
そして、見た事もない建築様式。赤白の無数のアーチ。
ところが、もっと驚いたのは、ここはイスラム教徒を追いやった後、キリスト教の寺院に改造されていることだ。
パイプオルガンにドーム、聖人達の像。
まるで大聖堂のようだが、廻廊はイスラム様式。
奇妙というか不思議というか、どうにも表現しにくい。
でも、確かにこの建物はキリスト教のために造られたものではない。
聖人達もどこか居心地が悪そうだった。
メスキータの隣はアルカサル(城塞)改装工事中との事で、確かにかなりボロボロだった。
裏手は河で、巨大な水車があってたまげる。壺がくくり付けてあって回る仕掛けだが、水は涸れてしまっていて有るのは水たまりだけ。どう見ても観光名所には見えない。実用だったのだろう。
急に強烈な疲労感に襲われた。考えてみれば昨日は歩き通しで、しかも寝不足。
僕はまっすぐに宿に引き返して眠った。
夕方に起きて風呂。バスタブはあまりきれいじゃなかったので、とりあえず洗ってから。
僕自身も汚れていた。
風呂から上がると、まるで生まれ変わったように力が満ち溢れてきた。さっきまでの疲れが信じられない。
飲みにいく。十代最後の夜だ。
あと数時間で、僕は20歳になる。
日本時間ではとっくになっているが。
原田と音楽の話で盛り上がる。僕たちの十代を飾った数々のアーティスト達の名前が出る。
新鮮なタコのマリネや野菜など、タパス(おつまみ)の皿が重ねられ、土地のワインが次々に飲み干される。
20歳なんて、遥か先の様に思える。
12時には、きっと眠っているだろう。
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