1997年 2月19日(火) アグリジェント:晴れ
目覚めると、カターニャ中央駅だった。
列車を切り離してフェリーに乗せたはずなのだが、メッシーナ海峡を越えたことにも気づかずに僕はいつの間にかシチリア島に着いていた。
皆カターニャで降り、コンパートメントは僕一人になった。
廊下側の窓からはエトナ山が煙を噴いているのが見え、部屋の窓からは海が見える。ヤシの木が植えてあって、日差しは強烈だ。
線路沿いにはオレンジ畑が延々と続いており、時たまサボテンが植えてある。
まるで夏のような景色だが、遠いエトナ山頂には雪が積もっている。
こんなにたくさんのオレンジを見たのはバレンシア以来だ。
列車から手を伸ばせばもぎ取れるくらい近くまで畑が広がっている。
アロエに紅い花が咲いている。
クールマユールのことを思うと、ずいぶん遠くまで来たものだ。
羊や牛が放牧されている。真冬だというのに一面緑だ。
ひと眠りして目覚める。
はっきりとした形の雲が地表に巨大な影を落としている。
小さな駅で誰かが降り、待ち受けていた人々がイタリア国旗を掲げて歓迎していた。
兵役帰りか何かなのだろうか。
アグリジェント中央駅に着いた。熱帯植物が咲き、太陽がじりじりと照りつける。
人々は上着を脱ぎ、半袖で歩いている。まるで8月の東京だ。
僕はダウンジャケットに重いリュックを背負って坂を登る。
とても暑い。
シチリアの夏はいったいどんなものなのだろう。
ホテルを見つける。4万リラ。悪くない。
部屋は実に広々としたツインで、ベランダまで付いている。
木戸を開けると、はじけるような日差しが飛び込んできた。
ダウンジャケットからインナーを外し、マウンテンパーカーにする。
それでも昼間は着ないでいいが、きっと日が沈んだら急に寒くなるんじゃないかと思う。
ベランダからは海が見えた。向こうはたぶんアフリカだと思う。
すごく腹が減った。
考えてみたら昨日の7時に夕食をとって以来ビスケットしか食べていないのだ。
15時間も列車に乗っていた。
適当に入ったトラットリア。
迷彩服を着た兵士たちが美味そうなステーキを食べていたので僕も頼んだ。彼らはどう見ても10代だ。
ハンサムな若い店員が二人。この細い裏道は、観光客の来るところではない。
一皿目のスパゲティーの名前を忘れたが、これが美味い。
ムール貝と海老、香草にトマトソースのパスタなのだが、潮の味と香り、ぷりぷりとした海老、貝の苦みが調和してとにかく美味い。
イタリアのパスタは少ないのが残念だ。
パンも美味い。トラットリアで出てくるパンは、ぼそぼそしていて数日キッチンに転がっていたようなのが殆どだが、このパンは美味い。
ステーキも素晴らしい。仔牛の肉だろうか。
柔らかくって、ちょっと羊肉のような味もする。
店員がビール代(4千リラ)をつけ忘れ、計2万2千リラ。安い。
満足のいく食事。
水を買い、ホテルに戻って小瓶に詰め替えた。
洗濯をしてベランダに干す。気分がいい。
神殿の谷を目指す。
バス乗り場で知り合った日本人男性二人連れは僕と同じく卒業旅行で、ユナイテッド航空利用ニューヨーク経由で来たそうだ。
三人で神殿の谷を歩く。まるでギリシャにいるような景色。
そびえ立つ紀元前400年の神殿。色とりどりの花々。
サボテン、丘の上の街、眼下に広がる海。
僕たちは溜息をついて岩に座り込んだ。僕は北イタリアから、彼らはアメリカから。
それぞれのカルチャーショックを感じているのだ。
風が強くて砂埃を舞わせるが、この暖かさはありがたい。
遠い夏の日を思わせる一日。
濃い緑の匂い。強い日差し。
彼らはパレルモ行き列車に乗るためにバスに乗って駅に向かった。
僕は遺跡に残る。
誰も居ない巨石群を歩いて海を眺めていると、ひと口にイタリアと言ってもずいぶん違うものだなあと妙に感心した。
たった一日で別の国に来たように印象が違う。
昨日の朝はオルヴィエートで目覚めたのだ。
そう言えば。
いろいろ怖い話も聞かされてきたけど、シチリア島に来て良かった。
やっぱりローマから北だけでは半分しか分からないと思う。
部屋に戻ると、まだ夕方だというのにひどく眠くなった。
トラットリアの開く時間まで何とか起きていようとするが、とてもダメだ。寝台疲れと快適なベッドの魅力。
結局近くのバールでパン(これは不味くて全部は食べられなかった)を買い、シャワーを浴びてオルヴィエートのワインを2本(計500ml)飲み、気持ちよく眠った。
ワインのせいか夜中トイレに起きたのだが、体が痺れてうまく動かないくらい深く眠っていた。
こういう眠りはめったにないくらい貴重だ。
とことん疲れるのも悪くないものだと思う。
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