イタリア編 〜


2月20日(水) アグリジェント:晴れ シラクーサ:晴れ

7時に起きてチェックアウト。
ふとカウンターにあったパンはいくらかと訊くと2000リラ。朝食は4000リラ。
8時半の始バスまでにはまだ間があるので朝食をとることにする。

パン2個とカフェラッテ。このコーヒーは、なぜか今までで一番美味かった。
今日はシラクーサに向かう。

バスターミナルに着くと、カターニャ(乗り換え地)行きのバスが出ようとしている。
こんな早い便もあったのかと思って慌ててチケットを買うが間に合わず、予定通り8時半のバスを待つ。チケットは16,500リラ。ちょっと高い。

長江健二に似ている長髪の日本人が、チケット売り場が分からずに困っていたので教えてあげた。
彼も同じバスに乗る。二時間以上に渡る道中、僕たちはずっとお互いの旅について話し合っていた。
彼はパレルモ行きの長距離列車で知り合ったシチリア人の家に泊めてもらい、
パレルモのカタコンベに連れて行ってもらったと言う。
これは僕も行きたいと思っていたが、ローマからの夜行列車がパレルモを経由しなかったのだ。
明日昼のローマ発アエロフロートで帰るので、今晩の夜行に乗ってローマへ向かうと言う。
土産に買ったエスプレッソ沸かし(800円くらい)を見せてくれた。これは僕も欲しい。

二重窓が曇っていて風景をあまり楽しめないので、この二時間は一人でいたらとても退屈したと思う。
彼も今日シラクーサを一日見てまわると言うので、一緒に行動することにする。

10:45カターニャ着予定のバスが少し早く着き、同じく10:45カターニャ発予定の列車が少し遅れたおかげで、僕たちは運良くタイムロス無しでシラクーサに向かうことができた。

ボローニャの生協で買ったパンの残りにマヨネーズを塗り、簡単な昼食にした。
彼はもう金が殆ど無いらしく、すごく喜んでいた。

漫画の話になって、彼も「MASTERキートン」と「JoJoの奇妙な冒険」の熱心なファンでだと分かった。
特にJoJoに関しては僕と同様マニアと言っていい。
二作品のヨーロッパに関わる話で盛り上がり、シラクーサまではあっという間だった。

とりあえずホテルを探す。彼の「地球の歩き方」は一年古い版で、僕のには載っていない安宿を見つけ、苦労して探し当てる。フェッラーラのホテルと似た、粉わさびのような匂いがするし家具もガタガタだが、何にせよ25,000リラは安い。 本当の昼食を求める。

彼の予算は5,000リラ以内。となるとパンを買うか切り売りのピッツェリアへ行くしかない。
うまく開いていた店があり、ほうれん草とポテトのチーズ包み焼きを買う。
味は悪くないのだが一本長い髪の毛が入っていて、これは今思い出しても気持ち悪い。
でも値段は二つで4,000リラと安く、彼も満足していた。

ヤシの木の並木を抜け、強い日差しの中を僕たちは考古学地区へ向かい、
苦労して入口を見つけて入場する。

中は生まれて初めて見たレモンの果樹が並ぶ楽園のような場所。
その向こうに切り立った岩肌がそびえる。
1693年に起きた大地震の前には、僕たちの居る地面に転がっている巨大な岩々もあの崖の上で地表を覆うようにそびえていたのだ。

ディオニソスの耳は、耳の形をした巨大な洞窟で、高さは50m近くあろうか。

話ながら入った僕たちは、奥から聞こえる自分たちの声に驚いた。
中は真っ暗闇。僕は見にマグライトを点けたが、そんなもの役に立たないほど闇が深い。

道は大きなカーブを描いて、入口の明かりが見えなくなったころ奥に突き当たる。
はるか上でコウモリの鳴き声がしている。

この洞窟は昔、牢獄として使われていたそうだが、
こんな所に閉じ込められたら20分で改心してしまいそうだ。

ギリシャ劇場へ。
半円の巨大な劇場。白い岩肌に、小さな緑色のトカゲがちょろちょろと這い回っている。
コロッセオを半分に割ったくらいの大きさなのだが、客席から舞台を見下ろすと
その向こうに青い青い海が見える。これは壮観だ。
僕たちはしばし言葉も失い、持参した水を飲んで汗を冷やしながら、眼下の海を眺めていた。

後ろの岩壁には穴が掘られ、昔人が住んでいた形跡がある。
これがネクロポリスというらしく、連れが言うには『Masterキートン』に出ていたらしい。
特に禁じられてはいないようなので、僕は中に入り、観察した。
穴の奥と左右の三方の壁には岩の寝台があり、まるでユースホステルみたいだ。

ローマ円形劇場。
長めの楕円の劇場で、これは下まで降りてみる事が出来なかった。
さっきのギリシャ劇場(B.C.500)に遅れる事700年で造られたらしいが、あんなに立派なものがありながら(今でもオペラを上演する)目と鼻の先にもう一つ造るなんて、イタリア人は本当にオペラ好きなのだなと思う。

暑い。とても2月とは思えない。
カタコンベ(地下墳墓)に行く。 彼はすでにパレルモのを見ているし金もないのでいいと言ったが、僕のおごりで強引に誘った(一人4000リラ)。
地上には教会があるが、壁だけを残し、地震で失われてしまっている。

ここの教会はギリシャ神殿の柱の上に造ったり他民族の侵略に遭ったりで、はがれた壁から見える柱や地面に残ったモザイクなどが、その波乱の歴史を物語っている。

カタコンベには遺体は一つもなかったが、壁に掘られた小さい無数の穴(子供の墓穴)やハシゴのように数十も掘られた家族用の墓が長い長い洞窟中続き、地下と日陰で寒いのも手伝って僕は身震いした。

ここは、水が涸れるまでは井戸だったのだ。
地図をもらいに寄ったインフォメーションの男が勧めるので、旧市街まで足を伸ばす。
橋を渡ると、潮の匂いがした。 こっちには美味そうなトラットリアが多い。
緑の公園と港の間の広い歩道を、海沿いに歩く。横浜の山下公園に似ているが、見事に何もない。
ロープを掛ける出っ張りがポツンポツンとあるだけで手すりすらなく、飛び込めば紺碧の海である。

傾きかけた日が、光る道のように海を輝かせている。
歩道の終わりにあるアレトゥーザの泉には白鳥やガチョウが遊び、パピルスの草が元気に生えている。

旧市街の端にある城まで歩いて行き、ドゥオーモを見る。
ここもギリシャ神殿を改造したもので、巨大な柱にその面影が見える。

男女3人の子供たちが「ブルース・リーのカンフーをやれ」と言ってついて来る。
僕は親指で鼻をこすって構え、ひと通りやってあげる。言葉は良く分からないが、たぶん喜んでいたと思う。

腹が減った。彼は夜の7時には駅に着かないと行けないので、トラットリアの開店は待てない。
切り売りのピッツェリアを見つけて入る。これが大当たり。ふっくら厚い生地に、たっぷりのチーズと具。
ちょっと油っこいが、美味い。彼も昼・夜ともに安く済んで喜んでいた。余った金でワインとチーズを買っていた。

ホテルに戻って荷物を取り、彼を駅へ送りに行く。誰かを見送るのも2度目になる。
ところが列車は寝台のみで、彼の持っているレイルカードに寝台料金を追加しないと乗れない。
もうローマから空港に行く金しか持っていない彼に、僕は2万リラ貸してあげた。
駅に着いた時彼が「ここで大丈夫、ありがとう。」と分かれようとしたのだが、列車を待ってみて良かった。
僕たちはいっしょに写真を撮り、握手して互いの旅について励まし合い、別れた。
何にせよ彼に会えてすごく楽しかった。

でも、それを抜きにしてもシチリアという所はひどく魅力的だ。
北イタリアの似たように見えるいくつかの街で退屈していた日々がもったいない。
彼も、まだしばらくここにいられる僕をうらやましがっていた。

こんな事ならビビっていないで、もっと早く来ていれば良かった。
昼に目をつけていたスパゲッテリアで飛びきり美味い海の幸のスパゲティ(イカ・海老・香草)とカラマリ(イカ)を焼いて香草をまぶし、レモンをかけたものと1/2のシチリア・ワインをとる。
カラマリはまるで七輪で焼いたようなシンプルで香ばしい味で、
香草の苦味とレモンの爽やかな酸味が効いている。
これにすっきりした辛口のシチリア・ワインがまた良く合う。
1リットルでも飲めそうだったが、何と言ってもここはシチリアで店は旧市街、ホテルまではかなり遠く、帰り道が怖いのでやめておく。

スパゲティは昨日アグリジェントで食べたのと同じ具だが、ちょっと味が違う。
全然洗練されていないし盛りつけも雑なのだが、イカスミと海老・貝の苦味、香草の香りとオリーブオイルが見事に一つの世界を作っている。ワイルドでいかにも漁師風の味だが、腹が減っていない上にかなりのボリュームにも関わらずペロリと平らげてしまった。

シチリア・ワインは食事に合う。
オルヴィエートのも美味いが、こんな海の幸に合わせると右に出るものはいないと思う。

あんなに恐れていたシチリアを、どんどん好きになっていく自分に気づく。
明日向かうタオルミーナは、どんなところなのだろうか。


シラクーサ考古学地区を歩く。

生まれて初めて見たレモンの樹。


後ろにそびえる耳のような形の洞窟が、
「ディオニソスの耳」。

中部はかなり怖い。


巨大なギリシャ劇場の中央に立つ、
豆粒のような筆者。


ローマ円形劇場。

すぐ近くにあんな立派な
ギリシャ劇場があるのに、
もう一つ作ってしまうイタリア人。



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