イタリア編 〜


1997年 2月4日(火)  パドヴァ:霧 ヴェネツィア:霧/曇り

目が覚めてまず僕を驚かせたのは、ヴェローナよりもさらに濃い霧だった。
まだこっちに来て雨を見たことはないが、この霧はすごい。
東京では余り霧というものを日常的な要素として認識することはないが、
こちらでは無視できない。

バールでサンドイッチ二つとカフェ・アメリカーノを食す。こっちのカフェ(エスプレッソ)は
濃すぎるので、アメリカンを頼むわけだが、バールによって2種類出てくる。
まず大きめのカップに半分くらいエスプレッソが入っていて、お湯の入った器が別に
出てくるパターン。(僕の求めているものに近い)。
もう一つはただ単にカップが大きくなっただけで中は大量のエスプレッソというパターン
(苦くて多くてとても飲みきれない)。 このバールは、じつに後者であった。
でもおじさんは親切に「座って食べなよ」と言ってくれるし、料金も全部で3500リラという
良心的なものであった。

ここでトイレを借りておくべきだった。
なぜなら、10:33発ヴェネツィア行きの列車は遅れており、僕はホームの石の冷たい
ベンチでじっとトイレを我慢する羽目になったのだ。
やれやれ、始発でもないイタリアの列車が定時に発車するわけないじゃないか。

日が少し差し始めてきた。 列車は20分遅れてやって来た。
しかしトイレの鍵はかからず、僕はかなり苦労して用を足し、やっと落ちついた気分で
席につく。

いよいよヴェネツィアだ。カルネヴァーレだ。
列車は濃い霧の中をサンタ・ルチア駅目指して走り、やがて長い長い橋の上に出る。
両側は海。霧のせいでほんの近くの海面しか見えない。
この橋がイタリア本土とヴェネツィア島を結ぶ唯一の道なのだ。

懐かしいヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に着く。とても寒い。パドヴァの比じゃない。
初めてここを訪れたのは17歳の春で、陽光と穏やかな空気に満ちていた。
その次は夏の終わりで、観光客こそ多かったものの、いささか強すぎるほどの日差しと
神に祝福されたような夏の日々があった。

しかし今回この島は、全く違った顔を見せてくれた。
霧・曇天・張り詰めた冷たい空気。
水上都市ヴェネツィアの冬は、思いのほか厳しいものであった。
僕は駅でホテルを取る。朝食・バス着き5万リラ。カルネヴァーレにしては安い。

ヴァポレット(水上バス)に乗ってホテルを目指す。

水の上の寒さはまた格別で、デッキに立った僕はしばらくヴェネツィアに着いたことをうまく
実感できなかった。ヴァポレットは霧で灰色に見える街を縫い、冷たい水を湛えた運河の
上を轟音を立てて進む。

ホテルは大通り(と言っても幅5mくらい)から一本奥まった裏通りにあった。
部屋はなぜか「Privato」(Private)と書いてある3畳くらいの学生寮みたいなところで、
フロントのすぐ隣りなので人がいたり電話が鳴ったりするとうるさい。
しかもバス付きというのは間違いで、トイレさえ2階に行かないとない。

でも部屋は暖かく、そこで生活することにも何だか暖かみを感じた。
天井には7本の木の梁が渡り、小さな丸い木のテーブルと椅子、洗面台が付いている。
ベッドは低く硬く、本当に学生寮みたいだけど何だか『自分の部屋』という感じがする。

街を歩く。細い道、広場、橋また橋。まるでもう一つの自分の街に帰ってきたように懐かしい。

魚貝のパスタとピーマン、それにゴルゴンゾラのピッツァを食す。
パスタは貝に潮の味がして海の近くに来たことを感じた。
そしてピッツァだが、アオスタのブルーチーズピッツァよりもさらにブルーな味のする
ゴルゴンゾラが大量に使われていて美味い。

奥まったホテルの隣りで、一般観光客がまず足を踏み入れないような道(幅1mくらい)
沿いだからこんな味なんだろう。

サン・マルコ広場を目指す。
みんな派手な帽子をかぶったり顔にペインティングを施したりしている。
お祭りの気配がする。 街には(いささかツーリスティックな香りがするにせよ)活気がある。
店は飾り付けられ、道にはシエナで見たのと同じ紙ふぶきが落ちている。

人々は祭の空気に酔い、少し興奮している。僕だけがまだその酔い心地を知らない。

サン・マルコ広場に出る。これはどうだ!?
中世の貴族の衣裳に身を包んだ人々、仮面をつけて妖しく振る舞う人々、悪魔の扮装をした人。
カルネヴァーレだ。

あちこちに人だかりができ、仮装の美しい人はポーズを取る。フラッシュの嵐。
子供から大人まであるいは美しくあるいは滑稽な仮装をしている。

見る人を楽しませようという気持ちと、自分も楽しんでしまおうという気持ちが伝わってくる
Che bella(なんて美しい)!
僕は殆ど使わなかったカメラで、この幻想的な風景を残そうとした。
でも多分完全には写らないだろう。
記憶に残った印象の方が強くて、映像だけでは伝わらないだろう。

僕はこの日を、ずっと忘れないと思う。
鳩と人だかりのサン・マルコ広場を。美しさとざわめきのカルネヴァーレを。
正直に言って孤独と疲労に少しまいっていた長い旅の途中だったが、ここへ来て心から思った。
旅は素晴らしい。
自分の知らなかった土地を、知らなかった人々を、自らの経験として受け止められるのだから。

冬のヴェネツィア、カルネヴァーレのヴェネツィア。
春から社会で働く僕にとって、おそらくこれが最初で最後の経験になるだろう。
僕はこうしてカルネヴァーレを見る事の出来た巡り合わせに感謝する。

ドゥカーレ宮殿を見学。3回もこの島に来て初めての訪問だ。
美しい中庭や宮殿内部はもとより、僕の心を捉えたのは他でもない牢獄であった。
囚人が窓からこの世の見納めをする「溜息の橋」を渡った時には、身震いさえした。

宮殿とは一転、陰気でじめっとした牢獄を歩く。
鉄格子、剥き出しの石壁。
そこに書かれた、僕には意味の分からない言葉(この世を呪っているのかも知れない)
がひどく印象的だった。

華麗な宮殿との対比がまた、この牢獄の恐ろしさを際だたせている。

かつて大国であったヴェネツィアの歴史は平和で牧歌的な日々ばかりではなかったのだ。
牢獄の次に心に残ったのは武器庫。鎧、剣から鉄砲まで。
一つの国が国として存在するのは大変な事なのだ。

溜息の橋で宮殿に戻る時、海沿いの広場でカルネヴァーレの仮装をした人々を囲んで
写真を撮っているのが見えた。この橋をバックにしているのだろう。

閉館間際に急いで見たサン・マルコ寺院を出ると、祭りはさらにエスカレートしていた。

一つの島がここまで祝祭的な空気を帯びるのは珍しいんじゃないかと思う。
それはこの島・ヴェネツィアでしか体験できない時間なのだろう。
僕は多分、これからも何度かこの島を訪れる。その時には、その時の生活があると思う。
今のこの雰囲気も一年中続くべきものじゃない。春には春の、夏には夏の魅力がある。
でも僕はこのカルネヴァーレの日々を、ヴェネツィアが一番祝祭的であった日々を忘れない。

僕は本当に旅に出て良かった。
そして、その目的地がイタリアで、ヴェネツィアであって良かった。


霧のサン・マルコ広場。


船着場にて。


花を抱えた少女。


船上にて。


サン・マルコ広場。
黒いコートの男もなかなか良い味ですね。


カフェ・フローリアン近くにて。



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