イタリア編 〜


1997年 2月17日(月) ペルージャ:晴れ オルヴィエート:晴れ

寒さは昨日のまま。
でも部屋を真っ暗にしたのと久々に耳栓をしたおかげでよく眠った。

適当につかまえたバスが運良く駅行きだったが「Stazione?」と訊いたのに
駅に着いたのを教えてくれずに素通りし、反対車線のバスに飛び移って何とか駅に着いた。

それでも結局予定より早く着いたわけだから、やっぱり僕の旅は
不運より幸運のほうが少し多いようだ。

列車は田園の中を進む。
宿も街も駅もずっと寒かったので、ほぼ丸一日ぶりに感じる車内の暖かさが心地良い。
僕はもしかしたら移動時間が一番好きなのかも知れない。

乗り換え駅のテロントラは見事に何もないところだ。
駅舎こそ立派だが、駅前に数件(バールが二つ、薬局がひとつ。あといくつか)
の商店があるだけで、すぐ山になっている。僕はここで一時間半を過ごす。

オルヴィエートに着いた。
列車から丘の上に築かれた街が見えた。
僕はこの街を『MASTERキートン』で知り、いつか来たいと思っていたのだが
地名の確認を忘れて来てしまい、ダメかと思ったが数日前にガイドブックで見つけた。
手がかりは『サン・パトリツィオの井戸』。

駅前からケーブルカーで街へ上る。途中、対向車とすれ違う時だけ2車線になる
メカニズムが面白くて、僕を含めた前方の乗客は大はしゃぎしていた。

ケーブルカーの名の通り、レールの間にワイヤーがあって上から引っ張っているのがよく見える。
運転手はおらず、リフトのように駅で操作している。

街におり立って、最初の一歩を踏んだ時から、僕はこのオルヴィエートの街に魅せられてしまった。

中世のような街並み。謎めいた小径。
遠くに建つ時計塔、ちらりと眼下に見え隠れする麓の街。遠い緑の山々。

『MASTERキートン』では遺跡のように描かれていたが、実際はホテルも商店もある現役の街だ。
特産はワインらしく、オルヴィエート・クラシコと書かれたフルボトルが400円くらいで売っている(観光客向けではない普通の商店が多いのも、この街の魅力の一つである)。

風はなく、暖かい。同じ丘上城郭都市でも、ペルージャとは印象がえらく違う。
僕は、まるで一目惚れのようにぽかんとした顔で、街の細部にまで見入ってしまった。

間違いなく、僕が今までに訪れた中で五本の指に入る魅力的な街だ。
あんまり人に教えたくないくらい。

ドゥオーモ広場に出る。様式の良く分からない巨大な教会。
インフォメーションでホテルリストをもらい、一番安くて近い『HOTEL DUOMO』(4万リラ)へ行く。
部屋は最上階で、階段を上るのは疲れたがダブルベッドの綺麗な部屋で、
何よりも暖かいのが嬉しかった。

こんな事なら昨日の夕方ペルージャを出てここに2泊しても良かったが、
何事もやってみてからでないと分からない。

昼食を求めて街を彷徨う。どこも美味しそうで気取っていない。こういうのも楽しい。
ペルージャではそれすらも難儀だった。

道にいた犬が、勝手に僕に追いかけられていると誤解し、振り向いてワンワン
吠えながら先を歩く。前から来た車に何度もひかれそうになっていた。

適当に入った店が大当たり。パスタは5千リラ(400円)くらい。
僕はリゾット・パルジャミーノを頼む。
パルメザンチーズのリゾット。フィレンツェのトルテリーニ然り、僕は安食堂のクリームチーズの油っこさに辟易していたのでヤバイかなと思ったら、これが美味い!
久々に米を食べられた嬉しさもあったが、リゾットのとろけるようなまろやかさと、
上からかけたパルメザンチーズの独特な香りが絶妙なバランスで、
皿に山盛りあったのにぺろっと平らげてしまった。
おかわりしたいくらいだが、2皿目があるのでそうも行かない。

メインは鶏のソテー・ワインソース。これも美味い。
マルコの店の鴨から上品さと甘みを抜いたような味。

グリーンサラダは少な目だったが、この店は当たりだ。
昨日の大ハズレピッツァ以来、丸一日何も食べたくなかったが、僕が最も大切にしている食事の楽しみを思い出させてくれた。
こんな店に来られてついている。夜も来ようと思う。

行きたかった『サン・パトリツィオの井戸』へ。

入口は何の変哲もない丸い煉瓦造りの建物なのだが、一歩中に入るとバルセロナで見たサグラダ・ファミリアの螺旋階段のように井戸の底が覗けて、思いの外深いことが分かった。

『MASTERキートン』ではこんなに深い井戸だということは分からず、また上から底が覗けることも分からなかった。
上りと下りのが階段が二重螺旋になっていることでキートン氏は追っ手から逃げられたわけだが、こんなに窓が開いていたら気づくよなあ、と現物を見た今では思う。

街の成り立ちと言い、物語に合わせて少し設定が変えられているようだ。
彼は「日本の会津地方にも同じような井戸があります。」と言っていたが、これはきっと本当なのだろう。

底まで降りてみる。井戸の中央を橋が渡っていて、対岸の上り階段に続いている。
水はすぐ足元までなみなみとあり、暗い井戸の底に居ることがちょっと薄気味悪い。
見上げると、満月のような井戸の入口が見えた。自殺防止のためだろうか、金網が張ってある。

中程まで上って、試しにコインを投げてみた。
あまりに底に着くのが遅いので「あれ?おかしいな。」と思ってから水音がした。
深さは62mあるそうだ。

何はともあれ、奇妙な体験だった。
僕の他に客は誰も居なかったので、橋を渡った時と出口(逆側に出る)まで二重螺旋であることを感じられなかったのが、ちょっと残念ではある。

井戸の周りは見晴らし台になっていて、遠い丘陵と眼下の駅や線路が見える。
北はフィレンツェ・南はローマだ。

ペルージャの方が眺望は良いのだが、南北に伸びるそんな線路を見ていると
「僕は旅をしているんだなあ」と感じる。

僕の上ってきたケーブルカー駅舎の向こうは城塞跡になっており、ここからの眺めは
(見張り台だから当然だけど)抜群だった。
日当たりの良いテーブルでは4人の老婦人がカードをやっていた。
煉瓦造りの門を抜けて階段を上ると、自分がほぼ直角の絶壁の上にいる事が分かった。
落ちたら多分死ぬ。

キートン氏の第一声は「へえ、地形をうまく利用しているなあ」だった。
この街の歴史は旧く、中世には法皇の隠れ場所だったそうだ。
この城塞もその時に造ったものかも知れない。
法皇と皇帝の対立がなかったら『ロミオとジュリエット』の話もなかったのだ。
イタリアというのは本当に興味深い国だと思う。

城塞の中は、今は美しい公園になっていて、老人や子供、若者、犬などが
思い思いの午後を過ごしている。

気が付いたらもう4時頃になっている。昨日と逆だ。
ペルージャではまだ3時だまだ4時だと、寒さに耐えかねて時計と睨めっこしていたのだから。

ドゥオーモへ行ってみる。ファザードの装飾は見事だが、中はがらんどう。
ちょうどシエナのサン・フランチェスコ教会に似ている。

ホテル・ドゥオーモはその名の通り教会のすぐ脇にあった。
道が入り組んでいるのでうまく距離感がつかめないのだ。街を貫くメインストリートを除けば、ここも造りは迷路のよう。そんな所まで僕好みだ。

ワインの名産地だけあって、かなり本格的なワイン店がいっぱいある。
僕はドゥオーモ脇の店で、暗い酒蔵からオルヴィエート・クラシコ・セッコ(辛口)の
メッツォ(ハーフ)を買った。これが2500リラ(200円)。安い!

ちょっと気が向くとすぐにベンチがあって座れるのもこの街の良いところだ。
公園のベンチみたいなのから一枚板に彫刻を施した工芸品まで様々。20mに一つくらい必ずある。
老人から子供まで、道でくつろいでいる。

電柱はないので、街灯は建物の壁についている。車はたまに通るが、すごく落ち着く。
大きな犬がいっぱい歩いている。日が沈んでも、まだ暖かい。
いつまでもこんな街で暮らしてみたいものだ。

沈む夕日の方へ歩いていたら街の西端に出た。
連なる山並みに、日はまさに沈もうとしていた。息を呑む美しさ。

僕は切り立った壁の上から田園と山々を眺める。
すると、「こんにちは。」と声がした。見ると、60歳くらいの日本人男性が笑いかけている。
彼は退職後ここに魅せられて住み着いてしまったのだと言う。良く日焼けしていて、後ろ髪を二つに縛っている。いかにも自由人という感じだ。

彼の案内で、壁沿いに街を歩く。
「イタリアに来てローマやフィレンツェしか見ないなんて勿体ないですよ。
 もっと田舎を知って欲しいですね。
 ほら、あれがローマ街道で、法皇はあの道を通ってあの門から
 オルヴィエートに逃げてきたんですよ」
 と教えてくれる。

ホテル・ドゥオーモ近くの酒屋に来ると
「この辺の地下は何層にも重なった洞窟になっているんですよ」
と言って、地下を見学させてくれるように頼んでくれた。

狭い階段の下はワイン倉になっていて、ほんのり暖かく湿気がある。巨大な樽がいくつも並び、壁にはいつの物か分からないほど埃の積もったワインが山積みになっている。
「こんな洞窟が島中(彼はこの地を「島」と呼んだ)掘られているんです。
 まだ調査が進んでいないからどのくらいのものかも分からないくらいたくさんあるんです。」

僕たちは、酒屋さんに礼を言って外に出た。
彼は僕を家に誘ってくれたのだが、遠慮してしまった。
話しかけられてあまりにもスグだったので、構えてしまったのだ。バカな事をした。
僕はどうも図々しくなりきれない。お言葉に甘えればきっと楽しいイタリアの話やこの地の話、彼の勤めていたアメリカの話が聞けただろう。

しかし、彼に連れられて歩いた壁沿いの景色は本当に素晴らしかった。
西端まで行くと建物は本当に中世そのままで、今がいつの時代なのかも分からなくなってしまう。

1秒ごとに日が沈んで光の角度が変わり、そんな街や眼下の風景を塗り替えていく。

最後の光の一筋が山の向こうに消える瞬間は、毎日見ているであろう彼も言葉を止めたほどであった。

しかし、退職後にオルヴィエートに腰を落ち着けるなんて、すごい決断とセンスだと思う。

「へぇ、クールマユールに行ったの?僕と妻はあそこに定宿があって、タダでスキー一式を置かせてもらっているんだよ。」先に聞いていたら貸してもらえたかもな、などと思う。
彼の胸にはシャモニーのワッペンが貼ってあり、ついこの間までスキーに行っていたという顔は
日焼けで真っ黒。良い歳のとり方だ。

「英語はこの50年ずっと使ってきたけど、今フランス語とイタリア語の猛勉強中なんです。
 僕の夢はね、フランス語で日本やヨーロッパのことを書いた本を出すことなんですよ。」
 彼はそう言って笑った。

本を書くことは僕にとっても夢だが、やる内容もレヴェルも違うから比較にならない。
あなたに会えて良かったです。会えなかったらオルヴィエートの半分しか見られなかったし、あなたの人生を垣間見ることも出来なかった。

いつかその年齢になったら、今度は僕があなたのように、その時のバックパッカーに親切にしようと思います。
ありがとうございました。 バスに乗る時、僕たちは握手をして別れた。

夕食をとりに出かける。昼に行った店。
ワインを半リットル頼んだら、ビールのように薄茶色のが出てきた。
こわごわ飲むと、白ワインにブランデーを入れたような味がする。
これも好みの分かれるところだが、僕は嫌いじゃない。
二皿目の仔牛ステーキレモンがけも美味かったが、カルボナーラが素晴らしかった。
卵もバターもクリームも新鮮で、麺もアルデンテ、ボリュームもたっぷり。
待たされた甲斐があった。ウェイターのお兄ちゃんはお調子者で英語も「オーケー」しかできないが、奥のコックはきっと本物なのだろう。

ワインは1/4にしておけば良かった。半リットルは多い上に、このワインは良くまわる。
それでも昨日シャワーを浴びていない(あのヤクザなホテルのシャワーがきちんと動くとは思えなかった)ので、何とか気力で済まし、暖かい部屋のベッドで幸せな気分でもらった本を読み切る。

今度会った人にあげようと思う。
オルヴィエートは本当に素晴らしい。
よく眠る。


麓のケーブルカー駅(左)から
丘の街、オルヴィエートを見上げる。


坂を上がるケーブルカーから見える線路。
真ん中に2本見えるワイヤーが引っ張っています。


ドゥオーモ前の広場にて。


サン・パトリツィオの井戸の入り口。


登りと下りで2重になった
螺旋階段が下へのびる。


井戸の底。
かつてはここで水を汲んでいたのだろう。
橋を渡って、今度は上りの螺旋階段を上がる。

一度通った道は通らない。


井戸の底から地上を見上げてみる。
降り注ぐ太陽の光。


日が傾いてきた。
日没の瞬間を追って街の端へ急ぐ。


街の西端にて。
まさに日が暮れようとしていた。

童話の絵本のような光景だ。


いろいろお話を聞かせてくれた退職紳士と
地下のワイン倉見学。



Next


戻る

TOP