1994年 9月8日(木)
モナコ:晴れ のち 大雨 のち 晴れ

寝台の上で目が覚めると、モナコ到着10分前だった。
あわてて荷物をまとめて、列車から飛び降りる。

窓からは、トンネルを抜けた瞬間に、突然地中海が姿を現した。遠く、まっすぐな水平線。昇り始めた朝日。寒かったアムステルダムを思うと、ずいぶん南まで来たものだ。

ここは世界有数の観光地。綺麗なビーチにカジノとF1の小国だ。

本来なら僕のような貧乏旅行者には用のない場所だが、唯一安く泊まれるユースホステル(YH)があると聞いて、立ち寄ってみる事にした。

あわよくば、カジノで一儲けして旅を優雅なものにしようという目論見もある。

モンテカルロ駅から広い邸宅のようなYHに一度行ってみるが、入口がわからない。
かと言って、他のホテルは目が飛び出るほど高いので泊まれない。仕方なく駅に戻って荷物をロッカーに入れようとする寸前に、ガラガラと案内所のシャッターが開く。聞けば、YHの入り口は裏側だそうだ。

午後には空くはずのベッドを確保し、荷物を庭に置かせてもらって朝食を求める。
港町特有の坂道を降りると、そこは地中海に面したモナコ港だった。

朝市のようなマーケットで朝食。地元の人用らしく、安い。商店には国王一家の写真が飾ってあった。

バスに乗って、今夜の決戦場、グラン・カジノ視察。パリのオペラ座と同じガルニエ設計。
堂々とした建物だ。金持ち連中だらけ。
庭もリゾー ト地っぽい。でも裏手の海は絶景。熱海なんかを思うと、悲しくなる程の綺麗さ。

大公宮殿へ。たまたま衛兵交代が見られる。真っ白な制服も凛々しく、吹奏楽のマーチングがあって楽しい。えらい人だかりでよく見えなかったものの、良いタイミングだった。

内部は小さいながら豪華で、あのグレース・ケリーの肖像があった。

昨晩の寝台では同室の親父たちが騒いでよく眠れなかったため、飯を食べてシエスタ。
沈むようによく眠る。

夕方近くに目覚めると、外は強い雨。
YHの全自動洗濯機にTシャツ とパンツを放り込む。

部屋は広く、雨に閉じこめられたヨーロッパ人の旅人二人がバドミントンをしていた。

やがて土砂降りが去って、雲の切れ間から夕暮れの日が見えた。

僕はネクタイを締め、スーツに袖を通して整髪した。
カジノまで歩く。
全く気負いはなかったが、噴水の広場を挟んでグラ ン・カジノを望むと、一瞬にして胸が高まった。入場料は僕の一日分の宿泊費に匹敵、21歳以下は入場禁止だという。19歳の僕は、精一杯胸を張ってゲートの階段を上った。

 「ボン・ソワール!」
 にこやかなボーイが恭しくドアを開けてくれる。

拍子抜けするほどあっさりと中に入れた。よし、やってやるぞ。
しかし、入場券売り場で敢えなくパスポートチェック。

かくして、僕の一攫千金の夢は藻屑と消えた。

悔しまぎれに、併設のゲームコーナーで遊ぶ。日本ではパチンコすら しない僕だが、これが実に面白い。ポーカーゲームで最初少しばかり儲 けるが、アッという間に50F(1000円)の負け。頭を冷やすため すぐ前のレストランのポーチでビールを飲む。冷えていて美味いが32 Fと少し高い。でも雰囲気は最高。行き交うロールス・ロイス。ベンツがまるでファミリー車に見える。
着飾ったリゾート客達。すぐ前はあのグラン・カジノ。レストランの中は007映画のようだ。
飲み残しのエビアンがたまらなく飲みたくなって情けない。

ゲームコーナーに戻ってもう50Fつぎ込む。青年から老人まで皆、白熱している。コインバーを台に叩きつけて割る老婦人。慣れているら しく、みな賭ける額が違う。

今度は、さっきより早く使い切る。ギャンブルで家を建てた奴はいないって、本当なんだと思う。

本場カジノは味わえないまでも、ほんのりとリッチな気分になれた。

いつの日か、また来た時は派手にやろう。しかし自分がこんなに賭け事に燃えるとは思わなかった。危ない危ない。

YHの裏庭で頭を冷やしながら日記をつける。ビーチリゾートらしく、テーブルや椅子、シャワー小屋があって庭を照らす灯りもついている。

一泊60F。負けたお金で3泊出来る。
カジノに入れなかったのも、「向いてないから止めとけ」という神様のお導きだったのかも知れない。

蚊に悩まされてサッパリ眠れず。


グレース・ケリーが嫁いだ大公宮殿にて。


グラン・カジノ視察。この時点ではやる気満々。
夜には億万長者になると信じ切っていた。


カジノに入る事すらできず、意気消沈の夜。
YHの庭にて。



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