1994年 9月 9日(金)
モナコ:晴れ マルセイユ:晴れ


朝飯の号令で飛び起きる。
蚊のせいで寝不足。

今日は南フランスの港町、マルセイユに向かい、スペイン行きの夜行に乗る。

同室の旅人達に昨晩のことを話すと、大笑いされた。まあ、19歳じゃ仕方ない。

朝食は、バケット丸一本。ココアが美味い。
郵便局に行って、高校のとき一緒にイタリアを旅した友人に手紙を出す。彼の好きなF1・モナコグランプリの絵葉書。

近くの小さなマーケットで水とパンを買い、列車に乗る。マルセイユに着くのは午後二時近く。

海沿いを走る。延々と遠くまで紺碧の地中海。近くはエメラルドグリーンで、遠くに行く程コバルトブルーになっていく。突き出た半島には、別荘地。ヨットやボートが並んでいる。金持ち向けのリゾート地。貧乏旅行の僕には全く縁の無い世界。

ニースで乗客の大部分が降り、喫煙車がイヤで隣のコンパートメントへ移るが、隣もそうだった。どこかで歌を歌うバックパッカーの若い女の子達。

朝買ったパンを食べてひと眠りしているうちに、マルセイユ到着。
荷物を預けて、今夜の夜行を取った。

深夜1時20分発、バルセロナ行き。明日は、ついにスペインだ。

「岩窟王」の牢獄、イフ島行きの船に乗る。もの凄い揺れ。リド島行きの水上バスの比じゃない。水しぶきが上がるたびに、高らかな歓声。デッキの一番前で、ウォーターコースター気分だ。

港の両側には、古い要塞。そこを抜けると真っ青な海。島には、アッという間に着いた。

ここはかつて牢獄であった島。今は美術館風に各房に作品が展示してある。

中庭には古井戸。ここから脱出を試みた人がいたかも知れない。「カリオストロの城」みたいに。

屋上に出ると、四方が海。列車から見えた海とは比べ物にならないくらい綺麗。
浅瀬では、底まで見える。ここは地中海だ。
きっと魚が美味しいだろう。
今夜の夕食に期待。

船で港に戻って、今度は遥か丘の上から街を見下ろす、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院を目指す。
歩くとキツそうなので、バスに乗ることにした。
滅茶苦茶狭い道を、ひょいひょいと苦も無く走るバス。しかも急な登りなので、曲がりくねっている。
バスはそれでも、踊るように走り抜けていく。

やがて視界が開けて、マルセイユの港を遥か下に望むことが出来た。

さっきまで居たイフ島も、まるでマルセイユのオマケみたいに近く、ぽっかりと浮かんでいる。

教会は19世紀のビザンチン様式で、古いゴシックばかり見てきた目に新鮮だった。海抜159mとあって、とにかく眺めがいい。

日本人のバスツアー到着。きっと流行の「南仏プロヴァンス・ツアー」だろう。
若い女性でいっぱいだ。僕らを物珍しげに見る。

港に戻り、ビストロを散歩。良さそうな店を見つけて、生牡蠣とブイヤベース(南仏海鮮鍋)、白ワインを注文。牡蠣はなぜかチーズのオーブン焼きで出されたが、さすがに美味かった。
ワイン(バンドール)も辛口で美味い。
高校時代、フランス料理店でバイトしていた頃は余り物で色々な料理の味を知ったが、結局ブイヤベースを口にする機会は無かった。

しかし今日、本場マルセイユに来てようやく賞味できた。ちょっと癖があってしかもパワフルな食べ物だったが、とっても美味かった。
一見、ちょっと物足りなく思えたが、実際は大したヴォリュームだった。

一人4000円になったが、まあ良い。やりたいことで妥協しない為に、今まで倹約して旅してきたのだ。それに、どうせこれからは物価の安いスペインで、そんなに苦しくもないだろう。

夜行が出発するまでの空き時間。
港町で結構ヤバそうな人が多い。
駅はなおいっそう柄の悪い人でいっぱいだ。日本人の女の子二人連れを見かけるが、見ているこっちがハラハラする。
警官もいるから大丈夫とは思うけど。

列車は20分遅れで到着。
同室の人たちは、もう眠っていた。悪いとは思ったが、ノックして鍵を開けてもらい、寝台に倒れこんで死んだように眠る。

 
モンテ・クリフト伯が閉じ込められていた牢獄。
囚人気分を味わってみる筆者。


イフ島へ向かう船。

これがまた、実に良く揺れた。


ノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院。
筆者は橋の上。



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