イギリス編 〜


1999年9月18日(土) ロンドン:晴れのち曇り

好天に恵まれた。
僕は住み慣れたYHの中庭でコーヒーを飲みながら、今日一日何をしたものかと考える。
夜10時のフライトだから、8時までには空港に着きたい。それまで何をしていようか。
雲の流れが速い。ひょっとすると天気は変わるかも知れない。

とりあえずハロッズへ。やはりでかい。お土産に手頃なテディベアがあった。警官、ビーフィーター、衛兵などのタイプがある。これをヒースロー空港のハロッズで買えることを店員に確認して、手ぶらで出る。

ウェストミンスター寺院へ。
地下鉄駅を出ると、いきなり目の前にビッグ・ベンが立ちはだかっていた。
やはりでかい。上の方は金塗りの装飾である。そう言えばこんなに近くで見るのは初めてだ。

寺院は入場料を5£も取った。
中はまるで共同墓地で、歴代の王室ファミリーや貴族から詩人まで様々な人々の墓で埋め尽くされている。
良くこんな所で結婚式だの何だの出来るなあと正直に言って思った。
ダイアナ妃の葬式では、どこかにエルトン・ジョンがグランド・ピアノを設えたはずである。
女王エリザベスT世の墓には、さすがに行列ができていた。
映画の影響もあるのかも知れない。

これで今回だけでもロンドンの主要な場所は全て行った。
ローマほどではないにせよ、ここにも都会特有のカオスがあった。
牛と睨めっこをして野原を横切るのとは疲れ方が違う。

寺院を後にして、テイクアウトのタイ・カレーとチキンを買い、小さな教会の前で食べた。

この辺からひどい疲労感を覚える。
久々にロンドン塔とタワーブリッジの姿を見に行った時には、疲れはピークに達した。
とりあえずYHに戻り、荷作りをする。
まだまだ時間があるので頼んで寝かせてもらおうかとも思ったが、無理そうなのであきらめる。
天気が良ければHolland parkの芝生に寝そべって眠れるのだが、午後から冷たい風が吹き始めていて、そんな事をしている者は誰もいない。
ローマを去る前の数日間になぜもっといろんな所に行かなかったんだろうと思っていたが、今思い出した。あの時も今日と同じくらい、いや旅の長さからすれば以上に疲れていたのだ。何も出来ないくらい。
多分、昨日夜中に目覚めてしまったせいだろう。
4時頃だったろうか。その後長い時間眠れなかった。
肉体的疲労と緊張が、やはりあったのかも知れない。ましてロンドンという大都会に戻って来てしまった今とあっては。
どこでもいいから眠りたい。
しかし10時のフライトまではそうも行きそうにない。

空港へ行って尋ねたが、シャワーと仮眠室はパスポート・コントロールの中にあるという。
そう言えば成田もそうだったが、そんな所で2時間足らずの間に何ができよう?

でもサンドイッチを食べてトマトジュースを飲んだら、気分は驚くほど良くなった。
眠れと言われれば1分以内に眠れるが。

外は冷たい風から細かい雨に変わり、ぐっと暗くなってきた。
"Boots"でのど飴を買い(たぶん物凄く不味いのだろう)、ワトソン先生の留守電にお礼のメッセージを入れる。
割と早めに出国審査を受けられたのでいろいろ買い物をする。
僕の言い方が悪かったのかハロッズのテディベアは一番小さいサイズが無かったが、パディントンの可愛い小さな縫いぐるみを見つけた。
適当にチョコレートやお菓子を買い、自分にはバーバリーでネクタイを購入。

もう疲れも眠気も峠を越え、妙な感覚だ。
終電を逃した酔い覚めにも似ている。日本は日曜日の明け方だからちょうど良いのかも知れない。いよいよ日本へ帰れるのだ。

17番ゲートは出発を待つ旅客でごった返している。
韓国人が殆ど。日本人が一部。イギリス人はほんの数人だ。

機内食を何とか食べてシートに沈み、深く深く眠った。
窓の外にロンドンの夜景が見えた。さよなら、ロンドン。

次に目覚めた時はすでにソウル到着寸前だった。
成田行きはまたオーバーブッキングをされたらしく、呼び止められて「明日の便にしてもらえませんか」と頼まれた。

ソウルにホテルも取ってくれるらしいし、かなり魅力的な提案なのだが、今回は夏休みギリギリの日数で来ているので、残念ながら断った。

ついに日本に帰ってきた。すでに夜10時をまわっており、京成線の特急はもう無かった。
苦労して家にたどり着く。

そう言えば、今日は僕の25歳の誕生日だ。


この日も写真を撮りませんでした。

これは16歳の夏。

大英博物館の有翼人面牡牛像の前で。

世界史の資料集に写真が載っていて、
ぜひ実物を見てみたかったのだ。


Next


戻る

TOP