イタリア編 〜


1997年 1月28日(火)
ジェノヴァ:晴れのち曇り

6時に起きて駅に向かう。まだ薄暗く、また、ひどく寒い。
初めてマフラーを巻き、防寒シャツを着た。
早朝から営業しているBARが何軒かあったが、列車の時刻が近づいているので乗り換え駅のピサで朝食を取る事にする。

17歳で初めて訪れたピサ。予定では乗り換え時間はわずか30分だったが、2時間半後にも列車があったので、せっかくだから斜塔と大聖堂をもう一度見てみようと思い、歩き出す。

途中朝食に寄ったBARではお母さんとその息子らしい髪をツンツンに立てたティーンエイジャーが働いている。
息子は学校に行く前なのか「不服→あきらめ」といった表情だ。

トイレを借りると、まるで秘密の回廊の奥の院のような場所に通された。大きめの冷蔵庫のようなトイレ。
多分僕の生涯で一番小さいトイレだと思う。

フィレンツェから流れるアルノ河を渡ると、ようやく強まり始めた朝日に照らされて、白い斜塔が姿を見せた。

僕が初めて見た4年前より、何mmが傾きを増しているらしい。
関西から来たらしい女の子が定番の「支えのポーズ」(塔を支えているように見えるよう、カメラの前で塔の傾きに手のひらを合わせて構えるポーズ。みんなこれで写真を撮る)で撮影していた。

もの珍しそうに僕を見ていた方の一人が、日本人と思って親しみを感じたのか、ニコっと笑ってくれた。僕も笑い返す。
東京の人はまずそんな事しない。こういうのはちょっと嬉しい。

よく見ると塔には一部補強金具がついている。まだまだ倒れる心配はないという。昔は登れたらしいので、高いところ好きの僕としては是非とも上ってみたかった。
芝生の広場には、まだ誰も足を踏み入れていない。

朝は何もかもが清潔だ。
これがお昼を過ぎると、ティーンエイジャー達のサッカー場になるのだ。

駅に戻ってトリノ行きインターシティーに乗る。
30歳くらいの旅人と初老の夫婦と一緒に4人のコンパートメント。
夫婦は窓の外の友達夫婦と手を振り合っていた。
列車が動き始めると、遠くに斜塔と大聖堂が見えた。
山間の街を抜け、何度もトンネルをくぐって北上していく。こりゃ降りたら寒そうだ。車内は暖房が効いていて、途中少し眠る。

ジェノヴァ・ブリニョーレ駅に着く。YHに電話を掛けたらいろんな国の言葉で営業は3時半からだとメッセージが流れた。でも僕は荷物が重くて駅での預け賃が惜しいので、行ってみる事にした。

バスはすぐに見つかり、乗客にYHの停留所を尋ねると、着いたら降ろしてくれるように運転手に頼んでくれた。

ジェノヴァは港町で、海から狭い街を挟んですぐに山なのでバスはものすごいカーブを右へ左へジェットコースターのように進んでいく。
ガラス窓が割れるんじゃないかと思うほど揺れる。
坂を上っていくにしたがって、遠くに港が見えてくる。
YHは学校のように大きな建物で、坂に沿って段々畑式に運動場や公園がある。ところが電話のメッセージ通り内部はきちんと閉鎖され、人の姿はない。

仕方ないので開くまで待とうと思い、港が見下ろせるベンチに座り、読書や書き物をしようとしたが、冷たい風がびゅうびゅう吹いて鞄をめくらせフードをはためかせ、とてもそれどころではない。

仕方ないので(こればっかり)再びバスに乗って街に降りる事にした。
切符売り場がないので先ほどの切符を代用して改札機に入れたが、OKだった。途中バスの乗り換えがあり、全員避難訓練のように速やかに移動した。予告もなければ説明もないのに乗客は平然としている。

駅に荷物を預けて、飯にする事にした。時刻は2時過ぎ。
でも良い店が見つからない。この時になってやっと気づいたのだが、ジェノヴァという街はおよそ訪れるに値しない街だった。
まず汚い。建物も道路も薄汚れている。
次にうるさい。さっきのバスもさることながら、道が狭い上に交通量が多くて、運転が荒っぽい。
最後に、怖い。これは具体的に何が怖いという訳ではないのだが、全体的に歩いて
いる人の得体が知れない。もちろん普通の人々が大部分だが、時折年齢も職業も不明の怪人物がチラホラ通る。
警官も多い。あるいはこれが港町の特徴で、僕が慣れていないから違和感を覚えているのかも知れない。夜のマルセイユも確かこんな感じだった。

とにかく街を見て回ろうと歩き出したが、歩けば歩くほど気が滅入る。
シエナの逆だ。
とにかくまともなレストランは見つらなかった。
横浜にしろ小樽にしろ港町に美味しい食堂は付き物だが。
仕方なく入った駅近くの店で適当に頼んだラザーニャのジェノヴァ風(バジルソース)はまあまあだったが、付け合わせの茹でたカブの葉には味が無く、ウサギにでもなった気分だった。

それでも港に出ると(汚いが)面白かった。
魚屋や市場、船具の店がひしめき合っている。
しかし海は遠い。並ぶクレーンや高架道路の向こうで、丘に上らないと見えない。

再びジェットコースター・バスに乗ってYHへ。
今度は簡単に入れた。2段ベッド4つの8人部屋。1階は食堂で、結構遅くまでパスタを出す。もっとも選択肢はスパゲティ・トルテリーニ・マカロニの3つでトマトソースしかないのは共通だが。

でも水やお菓子、ビールを始めカミソリ・石鹸・フィルムなど何でも売っていて楽しい。
2階は談話室。キリストのようなジョン・レノンのような若い男が読み物を、男女3人がトランプをしていた。

建物は夏向けに造ったせいかやけにただっ広くて、ブレーメンのYHに似ている。今日の宿泊客は10人ちょっとだが、シーズンにはきっと大賑わいだろう。テレビゲームやサッカーゲームまである。
この宿が良かったのがジェノヴァの唯一といえる救いだ。
ランドリーサービスを頼もうとしたが、これは朝出して夕方仕上がるサービス。明日ジェノヴァを離れる僕には残念ながら使えない。

今日はYHが楽しくて珍しく遅くまで起きている。
さっきのキリスト系ジョン・レノンと話をした。
学生じゃなくジェノヴァで働いているのだという。
彼のジャージが格好良くて、日記帳の隅にスケッチをした。

モロッコのタンジェでも思ったけど、YHというのは孤独で危険な旅のオアシスだ。
僕はなぜか辛い目にあった印象の悪い街で良いYHに出会う確率が高い。

バックパッカーとして生きるくらい楽しい事はない。
そしてそれを支えてくれるのがYHの存在なのだ。

10時頃眠る。


この日はあんまり写真を撮らなかったので、
この旅で相棒だった靴の紹介です。
今はなきアウトドアショップ「SRC」で買った
SanMarcoという無名メーカー品ですが、
軽さ・履き心地・暖かさ
どれをとっても文句なしの逸品。

特に、ゴツイ外見とはウラハラな
ジョギングシューズばりの軽さは特筆もの。

現在、旅にはDanner社の
Gore-texシューズを愛用。


ユースホステルの部屋。
4人部屋だけど、この日は
空いていて二人占め。
ビビッドな色使いがイタリアですね。
右手下段を筆者が使った。

窓の下の白いのはオイルヒーター。
温まるのにとっても時間のかかる困り者。


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