イタリア編 〜


1997年 1月27日(月)

シエナ:曇 フィレンツェ:晴れ

7時に起きて身支度。
この窓から見るドゥオーモも鐘楼も、これでお別れだ。

お世話になったシスターに礼を言って宿舎の中庭を通り、門を出る。すでに自分の家みたいな気になっていたので、少し寂しい。
昨日より寒い。
今度はバスではなく電車でフィレンツェに行ってみる事にする。

駅行きのバスの乗り方がさっぱり分からない。皆親切に教えてはくれるのだが、僕の理解力か語学力が不足している。
最後は飛び乗りで運転手さんに「stazione?」と訊きまくり、何とかバスに乗れた。

シエナ駅は郊外にあるせいかあまり旅情とか人情に縁がない。
みんな単に交通機関として利用している。
昨日のバスは直行ではなくローカルだったのが良かったのか、下校する子供達が乗ってきたり老婦人の談話室と化したり、結構楽しかった。
フィレンツェ行きまで30分以上あるので、駅のバールで朝食にする。
見ようによってはユマ・サーマンに似ている女の子が忙しそうに働いていた。

パンはとても堅くて、悪戦苦闘しているうちに列車の時刻が来た。 フィレンツェに着き、かつて宿を探した通りを求める。
最初に入ったところが頼みもしないのにL45,000→L40,000に負けてくれたのでOKした。 部屋は一番奥。例によってツインを独り占め。

荷物を置いたらすぐに部屋を出てメディチ家礼拝堂を目指すが、何をどう間違ったのかドゥオーモに出てしまった。
途中、昔寄って写真まで撮った人形・仮面屋があった。何も変わっていない。

シエナに比べると商店が多く、1.5リットルの水が昨日はL2000だったのに今日はL800。愕然とする。

そろそろ両替をしても良い頃。1万円がL13万なら良しとしよう。

大学の英語購読の教材(今までで一番難しく、評価はC)に出てきたドゥオーモのクーポラ(天蓋)に登る。割とキツイ。シエナの塔(100m)より20m低いはずなのに。でも途中狭い階段から大きいドーム内部に出た時には驚いた。フレスコ画の細部が手に取るように見える。 4年前は隣のジォットの鐘塔に登ったのだが、立ち位置にしてもこっちの方が少し高いようだ。

ようやく屋上に出た。ドーム上部の狭い回廊から、ウッフィツィ美術館・アルノ河などフィレンツェ市街が360°一望できる。晴れて日差しはあるが、空気は冷たい。

ちょうど12時になって、ジォットの鐘がぐわんぐわんと鳴り響いた。
そう言えば腹が減った。シエナより濃い色の屋根。同じトスカナでも、壁が白いところが違う。

近くのセルフサービスレストランへ。「地球の歩き方」に載っているので日本人の女の子だらけで値段もセルフにしちゃ張るが、味はまあまあだった。
もちろん土地の料理を良心的な値段で味わえる食堂が一番なのだが、ここフィレンツェは大都市なのでなかなか安食堂もないし、僕はセルフも楽しくて結構好きなのだ。
ラザーニャやカネロニなどの温製パスタ、肉・魚料理、ビールや1/4ボトルのワインなどがカラフルに並んでいると、それだけで嬉しくなってしまう。
まるでノーマン・ロックウェルの絵みたいに。

前にミラノでどれも美味そうでついつい取りすぎ、殆どフルコース分盛ったら3万リラ以上してショックを受けたのを思い出す。
当時はツインに二人で泊まっていたので、一泊分の宿代に匹敵した。

両側に商店の建物が並ぶ古い古いアーケード橋、ポンテ・ベッキオを渡る。いつかTVの5分間番組「世界の橋」で観た。前はなぜ見逃がしていたのだ。
月曜日なのに、全ての店には木と鉄の鎧戸が降ろされている。

アルノ河沿いにミケランジェロ広場まで歩く。宮殿の庭園のような立派な階段を上っていくと、開けた場所に出た。眼下に流れる河の向こうに、ドゥオーモとフィレンツェの街が見える。この広場の名の由来は中央に立つダヴィデ像にあるのだが、もちろん今はレプリカ。本物はこの街のアカデミア美術館にある。

さらに上ると、ガイドブックにも載っていない教会が見えた。
僕の浅い浅い知識からすると、ヴィザンチン様式だろうか。その広い階段を上ると、小さな墓地があった。教会の中は夜のように暗く、彫像の修復工事をしていた。
ここまで来ると観光客もあまりいないし見晴らしもさっきの広場より断然良くて、得をした気分になる。
それほどマイナーな教会でもなかったらしく、一応スーベニアショップがあり、イコンや絵はがき、聖歌のテープに混じってなぜかビールやポップコーンまで売っている。
隣の工房ではこの教会の僧侶がイコンを書いているそうだ。
ここは正教の教会なのだろう。ヴィザンチン式というのも間違っていなかった。
真っ白な服を着た僧侶が座っている。

3時を過ぎ、少し肌寒くなってきた。

アルノ河を戻ってサンタ・クローチェ教会へ。
入るとすぐに、何とミケランジェロの墓があった。周りに人は居なくて、自分と彼が二人きりになったような気がした。
僕はダ・ヴィンチの大ファンなのだが、今回の旅でミケランジェロに強く魅かれている。17歳の時に「ピエタ」を見た時は、その美しさに感動しながらも「25歳にもなればプロなんだから」と思っていた。しかし22歳になった今、あの作品の価値が具体的な迫力をもって僕にのしかかったのだ。

見ると協会内は墓だらけ。シエナで見た聖堂のモザイクのように床一面が墓。ミケランジェロが人のために作ったメディチ家礼拝堂の墓はあんなにも豪華なのに、自信のは至ってシンプル。一際華やかなのはロッシーニの墓だった。

墓というのは不思議なものだ。シエナに行くバスの中で墓の空き地(つまりこれから墓になるべき場所)を見た時もそう思った。そこに入るべき人はまだ生きているのだ。
多くの墓は美しい天使の彫刻や本人の顔を象ったレリーフ、ひいては棺に刻まれた寝ている(死んでいる)姿で飾られている。この装飾はどのような効果を持つのだろうか。その人を讃えるためか。自分か生きていた事を証明するためか。

僕はまだ自分の死について考えるには若すぎるが、死んだ時には大げさに飾り立てたくはない。

教会の奧はなぜか皮革専門店になっていた。試しに財布を手に取ると、まるで赤ちゃんの肌のようにしっとりとして柔らかい。値段は1万リラ。悪くない。

奧は廊下沿いに工房になっていて、レザークラフトにはまっていた僕には垂涎ものの工具がズラリと並んでいる。
衣類もものが良く、デザインも良いのだがその分値段も手加減無しで70万〜90万リラくらい。ちょっとお土産には買えない。でもここは教会附属のせいか物と値段の釣り合いが取れていて良いお店。僕も革細工の苦労を知っているから、もう少し大人だったらあの値段も納得できたと思う。

路上で焼いていた栗を買って食べた。L3000で12個くらい。横一文字に切れ目が入っていて簡単に割れる。とても熱くて香ばしく、甘い。中まで熱い。袋は筒を二つ折りにしたもので、片方に殻が入れられる。面白い。夕食には早すぎるこんな寒い夕方にはとても有り難い間食だ。

駅に行って明朝のジェノヴァ行きを確認し、夕食を求める。リストランテの数こそ多いが、駅付近はどこもツーリスティックで大したことなさそう。キアケッラのように角を曲がって奥まった、近所づきあいの深そうな店など見つからない。

それでも一軒を選び、ワインリストをもらうとChianti classicoを見つける。ハーフでL8000。東京では考えられないほど安いし、深くてしっかりした味。美味い。

初めてトルテリーニなるパスタを食べる。何というか、潰れた看護婦帽のようなパスタ。中に少量の挽肉が入っている。マッシュルームとハムのホワイトクリーム。 ちょっとしょっぱくて脂っこいのでワインが進む。こりゃピザを食べるのはしんどいなと思っていたら、ピザはとてもあっさりしていてトマトがジューシーで美味かった(この店には第2皿のメニューがないのだ)。

明日はジェノヴァだ。初めての街というのは心躍るものだ。そこまで行けば日本人もあまりいないだろう。フィレンツェはちょっとひどい。パルコのグランバザールみたいだ。トスカナの州都、歴史と芸術の街。本当は素晴らしい街なのだが。

などと格好をつけているが、今日駅で切符の買い方を尋ねられてわずか5日ぶりに日本語を話した時は、実は少しホッとした。

夕食後は宿に戻って即、就寝。


ミケランジェロ広場近くの教会墓地から
フィレンツェ市街を見降ろす。

中央奥にはドゥオーモと
ジョットの鐘塔。


丘の上の裏道。右上にうっすら
ドゥオーモの屋根が見える。

猫に迎えられて階段を上がる
老人のジャケットの赤一つ取っても、
イタリア人はカッコいいなあ。


フィレンツェの写真が少ないので、
昔この街で撮った中から1枚。

本文中にも出てくる人形・仮面屋。
不思議な店だった。
今でもあると思う。


昔のフィレンツェからもう一枚。
教会のチャリティーくじを引く友人、河合の姿。

この頃の「旅日記」を発表しないのは
日記をつけていなかったから。



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