イタリア編 〜


1997年 2月8日(土) ヴェネツィア:晴れ フェッラーラ:晴れ

出発の日がやってきた。
いつもにこやかだったメイドさんのために、灰皿に1000リラ置いて部屋を片付ける。
大した金額ではないが、貧乏旅行者の僕にとってはとても珍しいことだ。
4泊もしたホテルは生まれて初めてだ。ホテルというより下宿屋のような雰囲気だった。
最後の朝食をとって忘れ物がないかどうか部屋を見まわす。
使い慣れたベッド、テーブル・洗面台。
もしまたこのホテルに泊まったとしてもこの部屋を使うことはないだろう。愛着は
わいているが、夕方と朝は本当にうるさいのでもう使いたくないという気持ちもある。
良く冷える冷蔵庫として使っていた出窓から缶ビールを取り出して鞄に入れ、良く乾く
乾燥機として使っていたオイルヒーターの上から洗濯物を取り込み、フロントで料金を払う。
この安い値段は何かの間違いじゃないかとハラハラしていたが、本当に一泊5万リラだった。

ヴァポレットの船着き場まで歩く。今日もいい天気だ。
人々は思い思いの仮装でサン・マルコ広場を目指している。
週末に入って、その人数と仮装ぶりはますますエスカレートしている。
僕の乗ったヴァポレットと逆に広場に向かって走る船は、そんな人々を満載していた。
サンタ・ルチア駅はものすごい人だかりで、僕にホテルを紹介してくれたインフォメーション
にも長い列ができていた。きっと僕の部屋もすぐに埋まってしまうだろう。
でも、そんな人込みも雑踏も不思議に僕を不愉快にはしなかった。
人々は祭を楽しむためにやって来たのだ。みんな期待に胸を膨らませてニコニコしている。
ここは今、祝祭の島なのだ。存分に楽しんで欲しいと僕は思う。

でも僕は、この土曜日の午前中にこの島をあとにすることに、少なからずホッとしている。
一番いいタイミングでやって来て、一番いいタイミングでここを去ることが出来たと思う。
そしてもう一つわがままが許されるなら、Casa miaにあまり多くの観光客がドヤドヤと
押し寄せないことを望む。ヒゲ親父とシニョーラがどう考えているのかは分らないけれど。

僕はとりあえずミラノ行きに乗って、パドヴァまで行こうとしている。
ヴェネツィアに向かう反対路線の列車は、ものすごい混雑だ。
パドヴァ駅でボローニャ行きを待つ。少し遅れている。
不思議に僕の他誰も待っていないなあと思っていたら、いつの間にか発車ホームの変更が
あったらしく、隣のホームにボローニャ行きの表示が出ていた。
そう言えばさっきアナウンスで「ボローニャ何たらかんたら…」と言っていた。
こういう時のためにも、今度はもっとイタリア語を学んで旅に臨もうと思う。
僕は走って隣のホームに駆け上がる。ちょうど列車が着くところだった。
間一髪。これを逃したら2時間近く足止めを食らう羽目になっていた。

ついに、日記用ボールペンを一本使い切る。大学の購買で見つけた、油性1.2mmの
Pilotのもので、買い値は80円。ここまで使えば、ボールペン冥利に尽きるというものだ。

フェッラーラに着く。パドヴァによく似た駅前。
一瞬、何かの間違いで戻って来ちゃったんじゃないかと思うくらい似ている。

バスに乗って街へ。すぐに大きな城が見えてきた。周りを堀に囲まれていて、
構えがどっしりしている。これがフェッラーラのシンボル、エステンセ城だ。
駅のインフォメーションでもらった地図を開いて一つ星のホテルを探す。できれば
星無しのホテルも載せて欲しいが、オフィスが週末なので開いていただけ有り難い。

Albergo Alfonsaという看板があり、中に入る。ぷうんと、粉わさびみたいな匂いがしてくる。
奥から出てきたシニョーラは英語が全く話せず、苦労してチェックインする。どうやら
4時にならないと担当者が戻らないから、支払はその時にしてくれと言っていたらしい。
部屋は5万5千リラで昨日までよりちょっと高いが、部屋にトイレがあったのでOKする。
よく見ると、便器と反対側の壁にシャワーが付いている。
どう見ても一般家庭のトイレと同じサイズなのに、一応ユニットバスなのだ。

珍しく鞄を置いて街に出る。車はたまに通るが、カルネヴァーレのヴェネツィアから来ると
人の少なさと静けさに唖然とする。

ドゥオーモの前の屋台でハンバーグにタコスを巻いたようなものを売っていたので食す。
ヴェネツィアで食い道楽をしてしまったので、ここらで切りつめていかないと後がヤバそう
だからだ。一見美味そうなのだが、不思議と美味しくない。挽肉は粗挽きでジューシ−
だし、塩加減も良い。でも特に美味くも不味くもない。 舌が肥えてしまったのかも知れない。

エステンセ城に入る。跳ね橋で堀を渡る。橋が跳ね上がるメカニズムが見えて楽しい。
でもそれだけ。回部は休館中で入れないのだ。
城を出て、丸石が敷かれた静かな道を、大学・修道院・スキファノイア宮殿へと歩く。
本当にに静かだ。そして暖かい。
宮殿と言っても佇まいは他の建物と同じに見える。内部には、ルネサンス時代の
フレスコ画が残っているが、特に息を呑むほどの代物でもなかった。

ドゥオーモへ。珍しく入口が二重になっていた。夫婦がひざまずいて祈っている。
彫刻かと思った柱と壁の装飾は、全て絵だった。
ディアマンテ宮殿。これも壁が菱形の石を敷き詰めて飾られているだけで、言われなければ
通り過ぎてしまいそうだった。

以上がフェッラーラ。特に何がすごいという街ではない。
でもカルネヴァーレのあの馬鹿騒ぎを抜け出した僕には、この街の静寂と落ち着いた
街並みが心地良かった。普通に来たら、もっともっと退屈していたんじゃないかと思う
(今日にしてみたところで相当退屈しているけど)。

大学の近くではたくさんの学生が、例の派手リュックに自転車というスタイルで行き来
していた。ところが丸石敷きの道ではさすがのフェッラーラっ子もよく転んでいた。

この街は去年、世界遺産に登録されたそうだ。もっともローマだってフィレンツェだって
シエナやヴェネツィア・ピサだって世界遺産だけど。
でもこの街がそうなら鎌倉の方がよっぽどスゴイと思ってしまう。

夕食をとりに出掛ける。パドヴァと妙に似ていることには、昼間あんなに静まり返っていた
街に、夕方過ぎにはどっと人が押し寄せている。
あるいはこれは週末にありがちな現象なのかも知れない。

安いトラットリアの類が見つからないので、チャイニーズのテイクアウト。
餃子、海老炒飯、鶏肉と筍と椎茸の炒め物。これで1万2千リラ。安い。

食器は付けてくれなかったので、宿の隣の雑貨屋でピクニック用プラスチックフォークを買う。
10本で950リラ。安いけど1本で良かった。今度から持って来よう。豆板醤ソースを
かけて部屋でコッソリ食べる(別に堂々と食べてもいいのかも知れないけど)。
これが美味い。特に餃子と筍や椎茸の味は、中国が故郷に思えるほど懐かしくて美味い。
ビールも飲む。幸せな気分になる。

全裸でシャワーのレバーを赤い方にひねり、お湯が出るのを待つが全然出ない。
仕方なくTシャツとジャージを着て他の階にシャワー室を求めるが無い。
いい加減体が冷えて、試しにレバーを逆の青い方にひねったらお湯が出た。いったい
何の因果で青がお湯なんだ?(昨日までは同じタイプ・同じ表示で赤がお湯だった。)
クールマユールを思い出す。また風邪をひいたらたまんないなあ。
便器の前に立ってシャワーを浴びるのは妙な体験だった。東京で使っていたユニット
バスだって似たようなものだが、このレイアウトは全く違う。便器だって水浸しだ。

9時過ぎ。本当はちょっと起きていて本でも読むつもりだったが、体が冷えるとマズイ
のですぐベッドに入る。おかげで夜中に目が覚める。


ドゥオーモ。
光も強いが、そのぶん影も色濃い。

この教会の壁装飾は彫刻ではなく絵画。
まるで「トリックアート美術館」のようだった。


ドゥオーモの脇はアーケード付き商店が並ぶ。(中央)

奥の塔がエステンセ城。
不思議と城では写真を撮らなかった。


超・強引ユニットバス。

左がトイレ、右がシャワー。
当然ながら部屋全体がビショ濡れになります。

いったい何考えてんだ?



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