1994年 8月31日(水)
アムステルダム:晴れ ブレーメン:晴れ
 

7時ごろ目覚めて窓を開ける。

夕べはあのまま雨だったらしいが、天気は良くなりそうだ。
楽しかったホテルに別れを告げて、出発。3ウェイバッグのストラップを出し、リュックとして使い始める。

昨日乗ったトラムを思って探していたら、中央駅に向かうバスを発見した。

ドイツ行きのプラットフォームに荷物を置いて、朝食を求める。
チーズとハムの円形サンドイッチとコーヒーを購入。
乗車前にトイレに行く。有料だった。壁には
「No more pay toilet!」 と書かれていた。僕も同感だ。

列車は出発して一路、ドイツに向かう。
運良く禁煙のコンパートメントが取れた。
発車するとすぐに窓の外には田園風景が広がる。川に船、湖。広い牧場に牛。

どこまでも平らで山影も無い。

同室は花かごとバイオリンケースを持った、綺麗な女性と老夫婦。
旦那さんの方はよく話しかけてくる人で、軍服みたいなジャケットに勲章らしいバッヂをつけている。
僕は胸の中で、彼のことを「大佐」と呼ぶことにした。

そう言えば僕の「軍曹」という名も、ある日ハンティング帽と肩章のあるコートを着ていて、そう呼ばれるようになったのだった。

大佐はドイツ語しか話せなかったが、彼が僕達にいろいろ話してくれることで、車内は親密な空気になった。
  
乗り換えの後、大佐とは握手をして別れる。
いつの間にか、オランダ―ドイツ国境を超えていた。

電車は乗り換えが複雑。あるいは、僕がただ間違えて降りてしまっているだけかも知れない。
ヘンゲロという田舎の乗り換え駅では女性の駅員が多く働いていて、みんなとても親切。笑顔が印象的だ。

二人占めの僕たちのコンパートメントの外廊下の窓で、別れを惜しむ女の子二人。
まるで「世界の車窓から」みたいだ。


上 : 「ブレーメンの音楽隊」の像。



ブレーメン駅に着く。
目当てのユースホステル目指し、自転車を借りようとするが閉店中だった。    
仕方ないので、トラムに乗るべくチケット売り場へ。
隣でおじさんが券売機と格闘中だった。
「えい、クソ!なんで出てこねえんだ。兄ちゃん、分かるか!?」
 残念ながらサッパリ分からず、力にはなれなかった。

アムステルダムそっくりのトラムが街を走る。
大きな川のほとりで降りる。ユースホステルはすぐに見つかった。学校のように大きい。
カフェテリア・ゲームセンターまである。さすがYH発祥国。

部屋は4人用。今のところ日本人の留学生と3人だけ。テーブルに椅子、ロッカーがあり、綺麗な部屋だ。
 
荷物を置いて川沿いに街へ。
工業地が続いてつまらないな、と思ったのもつかの間、一歩街に入ると、そこは何百年前の石造りの街並み。

まるで中世そのままの世界。今にもそこの角から馬に乗った騎士が出てきそうだ。

広場にはカフェのテーブルがいっぱい。でも秋が近いせいか、どこか寂しげだ。

「ブレーメンの音楽隊」の像を見つけた。

小さくて見落とすところだった。確か一番上のニワトリが鳴いて盗賊たちに朝だと思わせてアジトを追い払うんじゃなかったっけ?

駅前に戻り、郵便局で友達や叔父さんに手紙を書く。
局内にデスクがあって、ゆっくりと書けた。

やがて日が暮れ、ビールを求めて歩く。
ベトヒャー通りの古い古い街並みからさらに路地へ。冷たくなり始めた空気に、摺り硝子窓の明かりが暖かい。

せっかくだから変わったビールが飲みたい。
一杯目のVita Mailzは甘いノンアルコールビールで、明らかに失敗。咳止めシロップに炭酸を入れたような味。すかさず黒ビールにする。

ソーセージの注文がなかなか分かってもらえず、苦し紛れに絵を描いたら一発で伝わった。
山盛りのザワークラウト(キャベツの酢漬け)。でも美味い。

店内は込んでいて、同席の老婦人と話す機会が出来た。
彼女は87歳で、とてもそうは思えないが今僕と話している英語は75年前に習ったきりとの事。
ヨーロッパじゅうに息子がいるらしい。
生まれた時からブレーメンに住んでいると言う。
「この街はとっても気に入りました。」と言うとたいそう喜んでくれた。
日本の話を聞きたがるので、話しながら持ってきた折り紙で鶴を折る。
「日本ではこの鳥は幸福の象徴なんです。」と漢字で「鶴」「幸福」の字を添える。

楽しいひと時。旅は見るものもさることながら、出会う人によってこんなにも彩られるものなんだ。

 

町の中心部。グリム童話の世界だ。


やっと伝わったソーセージの絵。(日記より)


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