1994年 8月30日(火) アムステルダム:曇 寝台で目覚める。 |
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上 : アムステルダム駅前。セーターを着始める。 右 : 王立美術館。まるでおとぎの国の城みたいだ。 今なら絶対入るが、この時は美術館に食傷気味でパスしてしまった。 |
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国立海洋博物館へ。 湾内に船のマストが見えてきた頃、正午の大砲がドンと鳴る。地面がびりびりした。 海洋国オランダの様々な船の模型や、長崎の出島の様子など結構面白いものばかりだが、中でも本物の帆船に驚く。 階段を上って中に入ると、古い時代の衣装を着た船員達が歌を唄ったり食事を作ったりしている。 僕の好きな本にビジュアル図鑑「帆船」というのがあり、食糧貯蔵庫や船医の手術室の様子などカラフルな絵で描かれているものがあるが、その本の世界そのままだ。本物のニワトリまで飼っている。 船長室に行くと、ちょうど船員が定時の報告に来た。 「船長、異常ありません」 「ウム、そうか。」 ここは博物館であり、劇場なのだ。 街の中心部へ戻る。聖ニコラス教会・王宮を眺める。極めて古く美しく、寂れている。 この辺の建物は皆、少し傾いてとなりに寄りかかっている。 炒飯で昼食。またチャイニーズだ。繁華街は少し怪しく、ドラッグと頽廃の街と誰かに聞いたアムステルダムの香りが少し分かった。 広場にはたくさんの人々と鳩。パントマイマーや街頭音楽家が多い。 レモンのアイスを食べて、コーンは砕いて鳩にやった。 アンネ・フランクの家へ。 昔舞台で「アンネの日記」を観て、ここには是非来たかったのだ。 舞台装置にもなっていた、本棚を模した隠し扉からは、間取りから存在を気付かれないようにであろう、一段一段の幅が極めて狭い階段がとても急な角度で屋根裏部屋にのびている。ほとんどハシゴに近い。 窓は外部から気配を隠すため、ふさがれている。 こんな環境で、ひと家族が息を潜めて暮らしていたのだ。 家の出口には、「Everyone can someting」の言葉があった。 この平和な日本に生まれ育って、差別や戦争の実感も知らない僕だが、この言葉は覚えておこう。 広場のオブジェに座って手紙を書く。 |
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左 : レンブラントの生家。歩き疲れ?アムステルダムは自転車の多い街。 中 : この船そのものが、国立海洋博物館。 右 : HOTEL FLYING PIGの地下キッチンにて自炊。卓上にはハイネケンビールの缶。 |
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HEMAで買い物をする。チーズ・白ワイン・ソーセージ・パン・豚肉・ネギ・水。 今夜は自炊だ。 地下のキッチンにニンニクがあったので一片頂戴し、ワインで豚肉を炒める。 まだいくらか明るいので中庭で食べようとしたら細かな雨が降り出した。 食事は最高に美味い。待ちに待ったハイネケンビールを飲む。一本100円もしないので、貧乏旅行ながら今日だけは遠慮なく飲む。 まるまると太った猫が来て、「何かおくれ」と僕を見上げる。 チーズをあげると、さして有難がらなかったが、いかにも美味そうに食べた。 ピンボールもあるホテル地下のバーでは無料映画会。 ほぼ全員の宿泊客が自炊。本当に楽しいホテルだった。 明日は「音楽隊」のブレーメンへ向かう。 |